ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

仏教は、宗教ではない!?

以前のブログで、一向一揆を書いた
http://ondonpi.hatenablog.com/entry/2016/11/07/071700
これは、日本で土着化した仏教が、歴史のひとコマで放った光芒を、垣間見たものだった
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今回は、そもそもブッダが考えた事、やろうとした事に付いて、考えたい
と、言うのは、年を取り、最近ブッダが分かるような気がしている

加齢に伴う体の不調とその対応で、行き着いたのは樺島勝徳氏の禅体操だった
これで、50才手前の腰痛、肩痛、膝痛、踝痛、片頭痛はおろか、花粉症まで治った
因みに私のブログはこれで始まっている
有難かったのは勿論、それ以上に驚いた
それ迄、近くの医者、接骨院、大学病院に至る迄、何の効果も無かったからだ
そしてこの禅体操、加えて即効性があった
始めたのは去る大晦日の晩だったが、2週間程で効き出し痛みが無くなり、1ヶ月後の2月の花粉症は症状が出なかった

さてこれがブッダと係るのは、この禅体操がインナーマッスルの矯正と鍛錬になっていると気がついたからだ
ブッダ仏教の前に、ヨガの行者だ
私見では、ヨガとはインナーマッスルだと思う

この方面を多量に受け継いでいるのは禅宗
樺島氏の偉い所は、只座禅では無く、自分で考え、身体各部のインナーマッスル其々を鍛える、一連の体操セットを考案した事だろう
ブッダは若い頃、ヨガに没頭している

次のブッダとの接点は、つい最近起きた
早とちりだったが私は、ガン宣告を受けた、脳腫瘍だった
病院の廊下で、隠れて泣いた
その1ヶ月間、私は本当に死を覚悟した
通帳を一つにし、公共料金は引き落としから納付に、各権利書を息子に引き継ぎ、年金は遺族年金を調べ家族の生計を思いやった

で、それで憂いは晴れたか?
否、本当の葛藤はこれから始まった・・・
胸が焼け、胸を掻きむしり、息ができない
激しい心残りと悔悟の念だ
その時まではさほど考えた事も無かった、あれもこれもやりたい、あれもこれも見たい、つまり夢や理想を絶つ事が出来ないと言う、あせり、あせり、あせり、だった
これから逃れたい一心で、息絶え絶え、闇雲ながら、昔教わった瞑想をした
この時初めて、心がすうーっと落ち着いた、明鏡止水を得た

この時私は、大脳から小脳にトランスしたのだと思う
高貴な理想や夢は勿論、おぞましい憎しみや怨みや愛情、これらは皆、大脳の所産、空想物だと気が付いた
大脳はいつも激しく回転している
どちらが上か下か、大きいか小さいか、前か後ろか、貴いか卑しいか、得か損か
大脳の得意分野である
例えば上下を取ろう、自分が上、人が下と
たったこれだけでどれ程の憎しみが生まれる事か!
元々上下など無かったのだ、大脳がこさえた仮想空間、仮想現実なのだ
この大脳が作り上げた業火に、自分を焼いているのが人間だ、と気が付いた
だから大脳の無い動物には、此の手の苦しみはない
例えばワニ、背中を鳥が歩こうと、蛙が小便をしようと、目一つ動かさず岩と化す
所が餌が捕獲範囲内に入るや否や、ガバと一口、目にも止まらぬ一瞬劇
これが小脳である

ブッダはいつも、何をしているか?
あぐらをかき、手を組み、半眼で
それは、瞑想である
彼が言いたかったのは、瞑想だった
大脳はどれ程間違いを犯すか
それから逃れるのは、小脳しかないのだ、と
小脳の世界は、言葉で説明できない
言葉は、大脳の創作物だからだ
仏典は繰り返しばかりで、論理も筋道も、明快さも無いのはこの為だ

インナーマッスルの全ての神経は、小脳に収斂される
だからヨガでインナーマッスルを極めれば、当然小脳に至る
その小脳の禅体操、小脳のヨガ、これが瞑想だとブッダは気が付いたと思う

私は思わずに居られない
ブッダは宗教を始めたという認識は無かったのではないか、と
瞑想、即ち小脳の世界の真実を伝えたかったのでは、と

裏銀座縦走、マタギの夢の跡

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裏銀座を縦走した
筋肉が締まり、血流と汗、最上の快感

ただ・・・
稜線歩き、なんぼのもの!?
景色は一等、見晴らし最高、その通りだが、それだけの物、生活ではない
つまり気晴らし、遊びだ
生活は森の緑と、沢の水にある

三俣山荘の本、黒部の山賊
森と沢を自由に生きたマタギたち
伊藤正一氏が切り取った、最後の自由人のきらめきだった

甘いコーヒー、完成

念願の甘いコーヒー、遂に完成、安定した!
何、難しい事は無い、85℃以下の湯で淹れれば、誰でも出来る

この温度を得るのも、難しく無い
鶴口ポットの湯が湧いたら、カップに注いで冷まし、ポットに戻せば85℃位になっている筈だ
カップも温められるし、一挙両得だ
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コーヒーは奥が深いとか、専門店だの、プロだのと、辛気臭いイメージが先行するが、上の方法で、誰でも何時でも甘いコーヒーが安定して得られる

まとめれば五つになる
一つは銘柄で、苦いケニヤやキリマンジャロは避ける事
因みに甘い銘柄と云うのは無い

二つは焙煎で、苦い深煎りは避け、中煎りか浅煎りが良いと思う
またその煎りの均質性も重要で、豆の全部が均等に煎られている事は勿論、一粒の豆が、表面も芯も均等に煎られるのが理想だ
よくあるのは煎りが芯まで届かない事で、この時はコーヒーに青臭い味が混じる

三つは挽きだ
普通にミルで挽くと必ず微粉・パウダーが多量に混じる
この微粉が味の大敵、えぐみの元凶であり、これには長く悩まされた

プロペラ式も臼式もカッター式も、メーカーの高額な機種も、これから逃れられない
それがつい最近、さるStreamValleyと云う珈琲店で教えて貰った、ポーレックスの手挽きミルが良いと
図星だった、微粉が少なく、粗挽き、中挽き、細挽き共、粉と粒が揃う優れものだった

四つ目が最初に戻るが、湯の温度だった
85℃以下の湯で甘く、95℃以上の湯で苦くなるのが、今回の発見だった

五つ目は、淹れ方で、セオリー通りを守れば良い
蒸らし、高さを上げ、上下しながら高さを保つ
決してペーパーフィルターに、湯が掛からないように

長かった〜〜〜ぁ

アイヌと縄文と蘇我氏

うる覚えの記憶二つ、の話
しかし数ある説を乗り越えて、私の頭から離れない説二つ、の話である

一つはロシア人だったか、うる覚えだが、江戸時代後期に日本を探索したその手記に、本州を挟んで、沖縄とアイヌは似ている、と残している
小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い
対する本州人は大顔でのっぺり、胴長で毛が薄い、と

もう一つジャワ島だったか、まだらに分布する少数民族、小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い、その民族をテレビが特集していた
その示唆する所が、特異で記憶に残った
つまりアフリカで誕生した現人類、これの脱アフリカ、出アフリカだが、一様に連続したものではなく、波状で発生しており、ジャワの少数民族はその原初的な特質を持っている、と言うものである
それが、上で繰り返した、小顔丸顔云々なのだ
これが最近、私の中で結びついたのが今回の記事だ

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と云うのは縄文人の出自が、昔から皆目見当がつかない、と云う恨みが通奏低音のように、私の心情の底辺にあった
「何故か分からないが、縄文人は最初から居た」と考えるしか無いのだ
これが最近ようやく判明した、スッキリした、と云う話
これに比べれば、以前のブログで記事にした出雲神話など可愛いものである
つまり縄文人朝鮮人が混血し出した弥生後期に、縄文系が勝利した物語に過ぎない

この縄文人とジャワ少数民族だが、似た民族が、実は他にも居るのである
シベリアやアメリカ大陸である
その共通点の一つは、アフリカから一番遠い端っこに集中している事だ
つまり後続の出アフリカ人に圧迫され、岸壁の瀬戸際に追い詰められた様相を呈して分布しているのである

もう一つ、誤解を恐れず言えば、その言語、共通して抱合語なのだ、或いはかつて抱合語だったのでは、と
印欧語は屈折語、ウラルアルタイ語膠着語、これらは言語学的に合理的で楽ちんな文法なのだ
つまり、語の語幹があり、語尾が変化して、語間の接続が示され、文が構成される
この変化さえ磨り減ったのが、孤立語の中国語だ
つまりこの抱合語は、最も原始的、原初的ではないかと思うのである

そしてドキッとするのは、日本語の文は、最下端の語が、上の語を一手に引き受け、下から包み上げるような入れ子構造を持っていると云う事だ、つまり抱合語の特性を持っているのだ
時枝氏もこの事に気が付いている

この抱合語、詳しくは言語学の本を見て戴くとして、私は縄文人イコールアイヌ人だと思っている
学者には、アイヌ人は白人と言う人も多いが、これでは問題が拡散するばかり、五里霧中となる
理由は、最も重要な単語、神とカムイが同源だし、関東以北の地名のあらかたはアイヌ語で解明されるからだ

それが明らかに膠着語である、現代の日本語に至る理由が、以下の推測である
弥生は急速に東漸したが、桜前線の様に進んだのではない
稲作は、東に低地湿地を求めて広がったが、近くの山々には縄文人が生活していた
つまり縄文のアイヌと弥生の朝鮮人は、桜前線ではなく、列島で斑模様を構成したのである
この時縄文人が徐々に、山から降りて里の生活に同化したのだと思う
だから先住民のアイヌ語は地名としては残ったが、生活は弥生を受け入れたので、弥生人膠着語に同化した、と思うのだ

地方創生

地方創生の掛け声はよく聞くが、成功しているとは思えない
地方と東京の問題を、深刻に善良に苦悶している人も多いのではないだろうか
その地方の収入、田圃の収入、何も知らなかったが、最近目が覚めた

米は反収8俵、単価は店頭で1.6万円として、反収金額は12.8万円となる
1町歩128万円、10町歩1280万円となる
1町歩は、昔の一家族の規模だ
贅沢や楽しみは何も無かったが、これで生きていた
10町歩とは、現在の一家族が、機械を駆使して出来る最大規模だろう
これを超えれば、会社規模となり従業員とその労賃が浮上する

ここから諸費用が引かれるが、最大は流通コストだろう
後は諸機械のローンや、肥料と農薬になる

過疎化は言われて久しいが、上の構造を知れば当然だと言える
現在の生活水準を求めるなら、一家族10町歩必要だが、実際は農家数は多かった昔と同じで、一家族1町歩所有している

私は、人が去るのは当然だと思うし、それを推奨したいとさえ思う
そして残った一家族が10町歩を持つ農業は、魅力的だとさえ思う

勿論、10町歩を越えて会社形態も良い
跡継ぎや二代目の問題が起きないし、給与サラリーマンは気楽でもある
漁業は既にそうなっている
農地法が無いからである
漁業組合が会社で、漁村の若者はそこのサラリーマンだ

地方創生は、これしか無いのではないか
これを直視しないで、脇道ばかりあげつらっているように見える
或いは東京の機能を地方に分散すべきと言うが、その人は東京に住み自分は例外と思っている

追記に近いが、上の議論は農地が広く、区画整理事業が完了し、機械化農業が可能な土地の話だ
中山間地では、この議論は成り立たない
ただ工夫次第だ
つまり最もマージンを奪われる流通経費をゼロにすべく、販売経路を自力で開拓出来れば成り立つ
具体的には、差別化に徹し、消費者の歓心を得る事だ、奇跡のりんごの様に
勿論その努力、スーパーマン級だ

美しき、麦秋

見渡す限りの麦畑、何と感動的だろう
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感動したのは美しさの他に、二つ理由がある
以前麦を作りたいと言ったら、人に雀に喰われるよ、とあざ笑われた
ところがこの麦、その穂、手に取れば、何と立派でたわわな事か
あの言葉、雀は嘘だったと、嬉しさがジンとこみ上げて来た

もう一つ、この麦、休耕田の田圃に植えられている、と云う驚きだった
と云うのは以前、小麦やライ麦陸稲を試したのだが、それらは畑だった
その時この麦と云うのは、肥料喰いだと知り、震え上がった
つまり畑で育てれば、肥料買いの地獄に落ちる
そこを、水田を使うとは恐れ入った
水田は何故、大した肥料も与えず連作が出来るのか?、ご存知だろうか
山から来る水である
その水が様々な無機塩類、養分を運んで来るからである
脱帽した

ちなみに、もう一つ有り難いおまけがある
草対策だが、これは苗の時だけ世話をすれば、後は不思議な事に、麦の回りには草が生えないと云う事だ

柿の木の剪定

下は柿の木の写真だ
何が珍しいか?
実はこの木、70年ほど自然天然に育っていたのを、植木屋さんが強剪定し、2年かけて整枝し整形したものだ
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昔々、ある植木屋さんが言っていた、柿を剪定なんかして、実は成るのか?、と
それ以来、柿は剪定してはいけないものとばかり思っていた

だから最初、太枝を強剪定されて、葉っぱも殆ど失い、げんこつを空に突き出した様な、無残で可愛そうな枝振りに絶句したものだった
この木はもう、実は成らないと諦めた

それが2年目、げんこつ枝から胴吹き芽、胴吹き枝が出、間引きされたのが写真だ
完全に、そして美しく復活した
二度驚いた

言うまでもないが、写真の柿は整枝が目的だから姿が良いのだが、採果を目的にして高枝を詰め横枝を伸ばし、縦よりも横幅を大きくする事も可能だ
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畑と草

草は、畑の大問題だ
私の畑は7畝ほどで、家庭菜園より大きく、プロとは比較にならない、そんな規模の、草対策の話になる

最初、黒いビニールシートをかぶせたが、それでも草は生えてきて、ビニールを下から持ち上げる
その草取りはビニールを一々めくらねばならず、無い方がよっぽど楽だった
それ以来ビニールは使っていない
またそのビニールの始末にも困った
ゴミ出しで、拒否された

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その草対策、ネットを探して、糸川式と言うのを知った
一言で言えば、畝表面や通路の草を平鍬ではつる事により、草を削るのだ
腰をかがめて長時間の草むしりより、立っての作業になりずっと楽だった

はつった草と土はチャーハン状となって通路にたまるので、これを必要に応じて鍬で畝に戻す
事実上の土寄せ作業になり、草取りと合わせて一挙両得とも言える

畝表面をはつる為には、畝に工夫が要る
畝には一列しか植えない、と言う事だ
そうすれば、その苗、その野菜の、両側の畝表面をはつる事ができる
さて細い畝に一列しか植えないのは不経済だから、この畝は二本一対のペア構造で作る
或いは、広い畝の中央に細い溝を切る、と言った見かけになる


この糸川式、大変便利で楽ちん、一反くらいなら一番いい草対策だと思う
加えてもう一つ、重要なメリットがある、肥料だ

私は化学肥料は使わない、虫や病気を呼ぶからだ
使えばその駆除の為に、今度は農薬を買わなければならない
肥料と農薬、この二つを買えば、野菜は店で買った方が安くなる
もう一つ、私は食品添加物や化学肥料や農薬の、アレルギー体質だ
畑をやりだした理由は、これもあった

さて糸川式の凄い所は、その方法、その作業過程の中で、草を肥料化しており、肥料をやる必要が無い、と言う事だ
これで、草取り、土寄せ、施肥と一石三鳥になろうか

私は畝はつり後、ある時そのチャーハン状の草と土を放置して置いたら、堆肥化している事に気が付いた
これを畝に戻せば、施肥となる訳だ
その時まで私は堆肥枠を作り、刈払機の草を集め、半年一年かけて、堆肥を作っていたが、やめた
この堆肥、集めるのも、一年かけるのも、畝に撒くのも重労働だが、これから開放された
以来、刈払機で出た草は、畝の通路に盛っている、それを踏んで歩いている

後、肥料関連では、籾殻勲炭を作っている、土壌の酸性化防止だ
私の畑は春になれば、ハコベオオイヌノフグリ、オドリコソウ、ホトケノザなどに厚く覆われる、これが自慢だ
因みに毎年石灰をやっていた人の畑を引き継いだが、次の年にはスギナがびっしり密生した、強酸性だ
石灰とはそんな物かと思った

もう一つ肥料としては、大豆を植えて回転させている、窒素肥料の為だ
あと足りないのはカルシウムかと思うが、いまの所名案がない・・・

皇統譜

以前出雲神話を書きました
その7章神武東遷の最後に、以下の文章、皇統譜のおさらいを挿入しようかと思います

書記は、
初代神武、十代崇神、十二代景行天皇の皇子日本武尊、そして十五代応神天皇と並べます

学者は、
神武は居なかった、或いはその事績が崇神と重なるから、同一人物を二人に分けたとしています
そして二代から九代までの天皇は存在しなかったとし、欠史八代と云います
そんな天皇を挿入したのは、皇統を古く長く修飾する為としています
日本武尊に付いては、英雄譚を一人に集約した物語とし、その存在を否定します
応神の家来武内宿禰は、三百年も生きられる筈は無いから非科学的とし存在を否定します
応神の母神宮皇后は、一生を戦線で過ごしていますが、これは現実的ではないから、これも架空の物語として否定します

私は、
十五代までの初期の天皇譜は、順次代々引き継がれたのではなく、一つの事件に関わった、同時代を生きた神々を縦に積み上げた物だと思います

初期の天皇は三つのブロックに分けられます
神武から崇神は物部ブロック、景行と日本武尊を中心とする尾張ブロック、武内宿禰と神宮皇后と応神の出雲ブロックです
これは一つの事件を三つの地方から見たために、三つの話になったのです
それは良いのですが、この話を書記は縦に積み上げたのです

要約すれば
物部の崇神は押されて天皇になりました
同時進行で出雲の武内宿禰と神宮皇后は、北九州の卑弥呼を殺し日本国を統一創世しました
この快挙を恐れた物部の崇神尾張日本武尊は結託し、出雲を滅ぼし国譲りを得ます
神武を薩摩隼人に追い、神宮皇后を姫川に殺し、応神を諏訪に幽閉します
しかし直後の天変地異に動転し、日向から出雲の子孫神武を迎えます
従って神武は傀儡政権であり、子作り以外の実績がないのはその為であり、これは物部政権の範疇です
たまらないのは尾張です
粉骨砕身働いたのに、物部は裏切り、神武の出雲と結ぶとは何事か
神武東遷で土蜘蛛始め、小さな抵抗を受けるのは、尾張の憤懣と抵抗があった事の証です
日本武尊の最後が哀愁を奏でるのも、この下地があるからです
また皇統譜も、これらの代を圧縮すれば、現実の暦年に添えると思います

コーヒーは、甘い!

コーヒーを甘いと言えば、びっくりするだろう
数日前に、自分で淹れたコーヒー、後味が甘かった、初めての事でビックリした
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ちなみに、人が料理を美味しいと云うのは、その究極に甘さが有るからだと思う
勿論、甘い砂糖の、子供の味覚から進化して、野草の苦味に含まれるかすかな甘みや、苦い酒の中に嗅ぎ分ける甘さ、それをここでは云っている

結論から云えば、あの時の甘さは、焙煎豆の、その挽き方ではないかと思う
粗挽きだったのだ
もう一つの淹れ方の要素、湯通しの速さだが、これは今は確信がない
いずれにしろ、その味を再現しようと思い、現在試行錯誤しているが、プロペラ式のミルでは、多量のパウダーが発生するのは避けられず
このパウダーが苦味とまずさの元凶なのは知っているので、臼式かコニカル式のグラインダーを買おうと思っている
そうすれば、粒の揃った粗挽き、粒の揃った中挽き、粒の揃った細挽きが思いのままになり、苦味や雑味の元凶の、パウダーが混じる事はない

さてコーヒーの味は、一に豆の銘柄、二に焙煎の質と深さ、これは常識なので今は取り上げない
ちなみに今回は、ジャワ産のマンデリン豆を、中炒りで自家焙煎した物を使った

これにプラスしたい情報が、この記事のテーマ、挽き方の粗いこまかいによる、味の劇的な変化だ、これを云いたかった
コーヒーから苦味が消えるのだ
そしてコーヒーが甘くなるのだ

上野の山谷にあるコーヒー店バッハ、その味は、焙煎直後の豆を挽けば、決して難しい物ではないし、私でも作れる
上品な苦味の極致だろう

表参道のブルーボトルコーヒー、これにはびっくりした
遥か遠方に染み渡る、透明感がある
あの味は、本邦初の快挙ではないだろうか
あの味は、粗挽きで、多めの量の粉を、早い湯通しで得られるのでは、と思う

それに感動し追求していた矢先、たまたま生まれた「甘さ」だった
この甘さの味覚、ブルーボトルの透明感の上を行くのでは、と密かに思っている

夏野菜の、芽出し、苗作り

スーパーから発泡スチロールの箱を貰い
7W電球をグローブで包み、中に入れれば、温室・温箱になる
温度は、電球のワット数を変えたり、発熱電球を使って調節し、夏冬に対応する
豆腐のケースを取っておき、これにペーパータオルを切って底に敷き、ヒタヒタの温水を浸す
勿論それにトマト、ナス、カラシ、ピーマン、キュウリ、ウリ、スイカ、カボチャ、オクラ、モロヘイヤなどの種をを入れる
ちなみにこの温箱は
ピザやパンを醗酵させる時も、牛乳を醗酵させてのヨーグルト作りにも、甘酒・どぶろく作りにも大活躍だ
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芽が出たら、これをポリポットに移す
芽は最初根が出て、次に茎と葉が伸びる
どの時点でポリポットに移すか、現在試しつつ進行中だ
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玄米餅米で赤飯

失敗になるが、最初は焚いた
玄米なので、びっくり焚きで試みた
びっくり焚きとは、最初同量の水で焚き、水が飛んだら再度水を加えて焚く
一方、あらかじめ小豆を茹で、豆と水を濾して分けておく
二度目にびっくり焚きする時に、小豆を加え、その茹で汁で焚く
結果だが、味はそこそこながらも、ベチャベチャになる
水加減を減らし、数回試みたが、一線は超えられず、人に出せる物にはならなかった

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次は蒸した
蒸し器とさらしは、必要だ
鍋底に仕切りを広げる簡略版もあるが、専用蒸し器がずっと楽
最初はいきなりさらしに包み、蒸した
途中で2、3度、塩水の打ち水した
蒸して蒸して2時間蒸したが、柔らかくならなかった
それどころか、恐ろしく不味い

次は、玄米餅米を、一晩水に浸け置き、柔らかくした
これが大成功
蒸して、2度の塩水の打ち水後、1時間で出来た

次のトライアルは、これに小豆を加える工夫だが
蒸す時に茹でた小豆を乗せ、打ち水はその茹で汁を使えばいいのだろうか

もう一つ、赤飯に振りかける胡麻塩だが、これを買うのは馬鹿馬鹿しい
胡麻を買い、これに塩を加えて、炒ればいい
水を吸いべたつくかと恐れたが、それも無い
これはお握りにも使える、ご飯に混ぜれば、味の良いお握りができる

瞑想

最初、瞼が腫れた
次に顔半分が腫れ、眼がとび出した
その形相、お岩さんそのものだった
(後で思ったが、お岩さんはガンだと思う、その症状、私とそっくりだ)

3/14、近くのひらと眼科医院へ行った
眼の周囲を触診してポツリ、目の奥にしこりがある、と
驚き、聞いた、しこりとは何か、がんの事か、と
医者は答えなかった、ここでは脳の中は分からない、紹介状を書く、と
脳の中、という言葉に、私は二度驚いた

翌3/15、関東労災病院でMRIを撮った
その画像に驚いた、眼球の真後ろ、脳内に卵大の銀色に光る塊があった
すぐさま、国立がん研究センターへの紹介状を渡された
紹介状の嵐、矢のように、がんセンターに突き刺さった
私は観念した、脳腫瘍だ・・・
この日、私は泣いた
予約は一週間後になった、これが死刑宣告の日と思った


私は、通帳を一つにした
所有する3件の家は、電気ガス水道通信NHK全部、銀行引き落としから振込に変えた
遺族年金も調べた、7割程の金額が妻に支払われる、と知った
道志の別荘は、息子を連れて行き、大家さんに紹介した
来年の事は、この息子を私と思い、話をしてくれ、と

この間、10日間ぐらいだろうか、私は死ぬと思っていた
ただ一つ、友人が脳血管障害の治療、その為の大手術をした話は聞いていた
頭蓋骨を一周して切り取り、ヘルメットを脱ぐように頭蓋骨を外し、血管を縫い合わせた、と
その予備知識があったから、私は人格崩壊から免れた、と思う
ただ、がんの中で最も恐ろしい脳腫瘍だ、再発を繰り返し、遅かれ早かれ結果は同じだ

私は関東労災病院の廊下で、隠れて泣いた、胸が張り裂けるようだった
それは、この世から去る恐怖と未練だった、と思う
具体的には、道志の別荘で始めた畑、もっとやりたかった、こよなくやりたかったと願った
道の駅から近いから、カフェの夢も抱いた
これらが狂おしいほど、狂おしく、胸を掻きむしった
不思議な事に、死そのものの恐怖は、感じなかった
まだ痛みや苦しみが発症していなかったから、かも知れない
家族とも別れる事になる筈だが、これも感じなかった

数日後、また胸が焼けただれ、張り裂け、掻きむしり、窒息した
たまらず部屋を飛び出し、多摩川の河川敷に空気を求めた
広かった、上流も下流も空も
少年野球が、声を張り上げていた
幼児が、遊具に取り付こうとしていた
足元には、菜の花が一輪、一輪、一輪
皆々、輝いていた、美しかった、たまらずいとおしい、と思った
何故だろう
私の心が、諦め、遠のいて行くのが感じられた
執着が、薄れ始めた
と云うか、私を狂わせるのが執着だった、と気付き始めた

仏教では、愛憎を執着と云い、遠ざけるらしい
分からなかったし、逆にキリスト教では愛は徳目だが、この時初めて分かる気がした
これがある限り、死は恐ろしいものに化けて襲いかかる
そして七転八倒、狂い泣きしながら、死ぬ事になる
執着の最たるものは、善悪、正邪、愛憎のように、他を憎む迄に至る情念だ
これだけは避けなければならない、最悪だ
それより弱いがやはり、理想、希望、夢、これらも執着なのだと知った

河川敷での発見、共通項、それは小脳の世界ではないだろうか
小脳の世界とは、執着の無い世界ではないだろうか
小脳に生きる爬虫類は、善悪を知らず、愛憎を知らず、執着を知らない
大脳を持つ哺乳類にして初めて、いつくしみと憎しみを知り、正邪を知り、また夢を見る
これが巨大な妄想を生み、執着を生む
これが無ければそもそも、生も死も、その境界も、知らずに済んだのではないだろうか

河川敷での発見以来、私は部屋で瞑想するようになった
昔あるサークルで、瞑想を教えてもらった事がある
暗い部屋で、静かに音が流れ、言われるままに、自身の懐かしい風景を、楽しかった情景を繋いでいく
私は、故郷の川や林に分け入り、在るものを在るがままに見た
それらは多くは、幼児期の記憶であり、その情景の連鎖だった
今思えば意思、と云うものが無い世界だった
あの時と河川敷は、瓜二つだった
意思が無い、そして執着が無い、小脳の世界、爬虫類の世界だ
死ぬ時は子供に戻ると云う、きっとこれではないだろうか

3/22、国立がん研究センターへ行った
私は詰め寄ったが、医者は答えなかった
ステロイド薬を処方され、これが効いたらがんではない、との説明だったように思う
そして数日、目の腫れはひいて行った

4/5、二度目のがんセンターだ
この時、眼の腫れは完全に消失していた
けれども医者は、何も言わず、三度目の4/25を指定した
その日が、最後の審判になるのだろうか

脳腫瘍

眼窩腫瘍、ではないかと思う
医者は、かたく口を閉ざすが

眼球を納める空洞、これを眼窩と言うらしい
その後方部で、眼球を操る
筋肉や神経や涙腺があるのだろう
そこで発生する癌のようだ

症状もネットで見ると
まぶたが腫れ、
目が押されて飛び出し
お岩さんのような顔になる
物が二重に見える
自分のは、全部該当している

手術は
頭蓋骨をグルリと切り取り
ヘルメットを脱ぐようにしてから
患部を切除して行われるようだ

実はこの手術だけなら
逗子の友人が5年ほど前にやっていた
目的は脳血管障害の治療だったが
それを聞いたとき
驚き、言葉も無かった

その話を聞いていたから
今回の精神の動揺は
少しだが対応出来たのでは
と、感謝感激、申し上げておいた

もう一つ
ラジオで脳外科医が言っていたが
脳腫瘍一般に、他部位と異なり、転移が少ないと
本当なら、拝みたいほど、有り難い

国立がん研究センターへの、紹介状を、渡されてしまった
あんな、偉く、恐ろしい所、自分のような者が行くとは思わなかった

農作業と物置

畑を作りだすと、物置や作業小屋が欲しくなる
道具、収穫物、肥料等、家の中や納戸には、大き過ぎたり多過ぎたりで入らなくなるし、肥料など入れたくない物もある
 
で、作った、お隣さんから貰った廃材だけで

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一間の長さの細板だけで、4本の柱と上下の横板とかすがいの構造物が出来た
これが面白いのは、作りがシンプルで、これをモデュールとして左右に継ぎ足せば、いくらでも広くなると云う事
鳥小屋を作りたかったが、近所の反対で叶わなかった
今は、柱を寸詰めし、肥料などの物置に作り替えた

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