ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

山芋、大好き

私は山芋が、大好き
とろろご飯は、美味しい
ただ山芋と長芋の区別がついているかと言うと怪しい
去年ホームセンターで長芋の種を買ってきた
植えたんだけれども、なんか小さくてしょぼく、そのうち消えてなくなった

年が変わって今年、去年植えた所から芽が出て蔓が伸びてきた
生きていたんだ、と感動した
巻き付く竿も、立ててやった
そしてその蔓、今年の夏は立派に生い茂って くれた

その蔓も枯れて一か月ぐらい経ったので、芋を掘ってみることにした
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80cmくらい掘ったろうか、ようやく取れた
ちなみに、深さ80cmになるとスコップは届かない
穴の直径を1mに広げ、その穴に降りて掘る事になる
つまり大穴を、掘らなければならない
土は固くなかったが、穴三つは疲れた
明日も三つ、掘る予定

さてこの芋、長芋というより、スーパーで見る大和芋に似ているような・・・

カスピ海ヨーグルト、味噌、納豆、どぶろく、葡萄酒の自給自足

自給自足は楽しい
春野菜、秋野菜、と作れるようになった
肉は買うしかないが、釣りなら昔からの趣味だ
(田圃が無いので、米は買っているし、緑茶やコーヒー生豆も買っている)

さて、 買物の常連に、味噌、納豆、ヨーグルトがある
これらは日々の使用量は少ないが毎日だから、結構な金額になる
次に買わざるを得ない物として、酒がある
金額的にも、食品の次で、イタイ
これらの共通点は発酵食品であり、専門的であり、作るのが面倒であり、 従って買ってしまう訳だが、以上合計すれば月々の出費のかなりの部分を占めている

実は最初、面白そうなのでやってみたが、じきにやらなくなった
先ずヨーグルトだが、わざわざ常備するほど好きではなかったからだろう
ただ最近、カスピ海ヨーグルトの、とろーりねっとりのおいしさにびっくりし、 俄然やる気が出てきた
加えて体が、無性に欲しがる時がある
多分カルシウムが不足している時なのだろう
下の写真、その容器には、たっぷり1リットル強のカスピ海ヨーグルトが熟成している
ケチケチしないで、腹一杯もOK
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味噌も作りたい
ネットで調べると、その作る量と、仕掛けや作業の規模の大きさに仰天し、とても自分には、と思う
上の写真はヨーグルティアと云う商品だ
これの取説に、1リットル容器で味噌を作る方法が載っていた
これならヨーグルトと同じ、楽ちんだ
家庭なら、一ヶ月一回だろう
出来る気がする

次に納豆だが、これが続かなかったのは、小分けで作らなければならない、と思い込んでいたからだろう、手間だし面倒だった
今は同じく、上のヨーグルティアで、まとめて器にいっぱい作ればいいではないか、と気が付いた
もう一つ大豆が高く、納豆で買った方が安かったからだ
が、今は大豆も作付けし、たっぷり貯蔵してある
これからは腹一杯(?)、食べられる

どぶろくも作った
これを飲んで酔っ払った時には、驚いた
まさか自分如きに本物が出来るとは、思わなかった
ただ素人には、完璧な火入れは難しく菌が残り、暫く飲まないと酢になった
これが、続かない理由だったと思う
ならば1リットル位の、少量づつを作ればいい
月々の酒代は、馬鹿にならないのダ
下の写真は2リットルの鍋と、発熱電球、それを入れる発泡スチロールの箱、これを自作したのだが、これが失敗の原因だった
私は、仕掛けが大掛かりになると、続かない性格らしい
1リットルなら、上のヨーグルティアで十分だし、シンプルだ、それなら続く気がする
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最後に葡萄酒だ
知る人ぞ知る、これは数ある酒造りで、一番簡単な酒だ
現在、マスカットベリーAを育成中!
沢山なって、たわわに実ると、イイナ・・・

進化する世の中、専門化する世の中

著名な落合務氏、その店la bettolaは予約の取れない事で有名
それは知っていた、若くしてイタリアへ、偉い人が居るものだと
ただ、それが身の回りの日常に迄迫っていたとは、知らなかった

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自由が丘のイタリアン、la gita
このシェフも都内有名各所イタリアン、そしてイタリアでも修行した人だった
もはや、素人が保健所の営業許可を取っての開業、とは次元が違う

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これは武蔵小杉のgrand treeにあるワインショップ、enoteca
余りの綺麗な店構えに、どうせ高いと素通りしていた
それが11月第三木曜日、ボジョレーヌーボーが並んでいたので、つい寄った
驚いた、若い女店員、その知識の量、深さ!
アデレードの北Barossa valley、南仏のCote du rhone、Beaujolais villagesはその北の支流ソーヌ川河畔、チリのMontes、皆揃っていた

フランスワインはブレンドの優等生、上品で欠点が無い
対するチリワインの魅力、シングルモルトウイスキーのようにブレンドされて無くて、旨さも粗野さも内包・・・
と言ったら、その店員、チリワインは80パーセントはカルベネなどだが、後はブレンドです、と
驚いた、そんな数字迄出て来るとは

聞けば、チリにも、アデレードにも行き、勉強し、ソムリエの資格を持ち、イギリスのさる協会が認定のバッジも、襟元に光っていた
驚いた、 昔の酒屋の店員とは、もはや世界が違っていた

失われた20年と云う、成熟社会とも言う
よく見れば、その他身近な職種で増えた 高学歴の社員と人材、修士どころかマスタードクターも珍しくなくなった
私が知らないだけで、世の中は音を立てて変わり出している

早稲田祭と、教育と、文明と

早稲田祭に行った
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大ステージを埋めて広がる四五十人の踊り手、赤白黒の衣装がひるがえる、激しく、あざやかな踊り、そしてその音楽の洪水に、爺さんの私は感動のしっぱなしだった
その見事さ、涙が出そうになった
名はあるのだろうか、後でネットを調べたら、踊り侍と、下駄ッパーズと分かった

もう一つ、木陰の間で、男女五六人ほどが歌った、ブンブン、ブブンと、リズムばかりで、ほとんどメロディーが無い、不思議な音楽、それと合わせた、キレッキレの踊りというか動きというか、あれも頭から離れない
調べたら、あれがアカペラなる物、と

何れも感動した、その芸、プロ並みなのだ
現に、日本各地で活動、公演していた
それから数日、あの洗練度、極み、頭から離れなかった
田舎の掘っ立て小屋で一人、畑を耕すのとは距離があり過ぎた

そしてぼんやり「集まり」では、と思った
集まる若者、集まる情報、集まる技術、集まる知性、そこで働く、競争原理、急速にいや増し、極まる高み

私は教育が、分からない、騙されたと云う気持ちさえ持っている
我が子の教育に、何の興味も湧かなかった
読み書きそろばんは、分かる、実用だ
論語暗記になると、もう分からない
近代になり、それが自然科学に代わるが、これは実用だ、ノウハウであり、社会対応だ
ただ一つ、学問をすると自分で考える事が出きるようになると、僅かにこれの正しさは分かる

私が分からないと思うのは
教育の裏で、理解力や協調性と云う名で、国と会社に従順な人間を作っている、との思いが一つ
現に共に仕事をするに、教育の無い人は正に自由奔放、勝手気まま、作業は愚か、厳守時間さえままならない
その人の脳裏に経営者とか勤め人とかは、存在していない
私はあの時、教育に洗われた自分の脳を知った

もう一つ、教育と云う名のもとで行われているのは、身分制度の再生産では無いかと
人が人を公明正大に搾取する、合法手段の気がする
士農工商が大学に変わっただけ、ではと
私の教育への不信感は、そこら辺に在る

唯それで百パーセント納得し切れたか、それが分からなかった
それが今回の、早稲田祭だった
繰り返すが、「集まる若者、集まる情報、集まる技術、集まる知性、そこで働く、競争原理、急速にいや増し、極まる高み」
これで深く、心から、納得出来た気がした

話は飛ぶ、急転直下、文明の起源説だ
エジプトなどの4大文明では、まず大きな川のそばの肥沃な土地に人々が定住し、農業が始まったとされている
人口が増えて街ができ、王が生まれる
その権威の象徴として、ピラミッドなどの建造物が造られたと考えられてきた
学校でこの話を聞いて、私の脳細胞は反応した事が無い

杉山三郎氏は云う
先ず知恵者が現れ、雨季と乾季の始まりを知る小さなピラミッド、その角度が雨季や乾季の始まりを太陽の方角に合わせ、農耕にとって最大の情報を提供した
人は情報を求めて集り、且つ人口集中の生活の利便が得られた
知恵者とは神であり、情報は宗教となったと

私の脳細胞は激しく反応する
これは早稲田祭と、同じでは無いか
情報と利便性を求めて、人が集まり、都市ができる
自身の行動規範をさて置いて、何故古代人に別の規範を求めるか!?

Blue bottle coffee、遂に迫った!、追い越した?

長かった・・・

最初、表参道のBlue bottle coffeeに行って、その透明感に感動し、ショックを受けた
それから数年、庭にロケットストーブ、自家焙煎、ミル調査、淹れ方、湯温
長かった・・・
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今日祐天寺のBlue bottle coffeeに行った、飲んだ、同じだ、同じになった、と思った
気分的には勝った、と思うくらい嬉しかった

浅煎り、挽きは細かめ、湯温は95℃、湯通しは早め・・・

頻尿が、劇的に治癒

年を取るとトイレが近くなるのは仕方がない事だと思っていた
先月末からこの一ヶ月に連日連夜、何度も目が覚めトイレに起きる
最悪は一晩で七回、次が六回、五回と続く
勿論辛いし、殆ど寝た実感がない
加えて、年を取ると体がこわばり、目が覚めても体が動かないのだ
その状態でトイレに行くのは危険を感じ、隣室に尿瓶(に代わる物)を置くようになった
情けなさに、心で泣いた
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これの原因を必死に考えた
就寝前どころか、午後のお茶も絶った
夕食その物の水分も恐れ、夕食を早めた
でも容赦なく、頻尿は襲ってきた
寒さ対策も重要であり、ペットボトルの湯たんぽを工夫したし、電気あんか購入も考えた

答えは意外な所から来た
オーバーパンツだった
上半身を重ね着するだけで無く、下半身も重ね着したのだ
勿論日中の話、日中での防寒対策だ
これは随分あったかい
またズボンだけではなく、靴下も二重にした
そしてこの日から布団にもぐっても、足が冷たいと思わなくなった
勿論、ゆるい靴下一枚は履いている
そしてその晩からピタリと夜尿が消え、目が覚める事無く、朝までぐっすり
熟睡感たっぷりが、こんな幸せな物かと有難く、拝みたい思いだった

ちなみに股引も試したが、ひんやり感が有るのと、膝にまとわり着くわずらわしさがある
そのあったかさもオーバーパンツ程では無かったし、何より股引では夜尿が治らなかった

佐々井秀嶺、一向一揆、大乗仏教

佐々井秀嶺という人がいる、ネットニュースで知った
破天荒な性格で、日本の仏教界に住めず、タイに行くも問題を起こし、逃げるようにインドに
問題は、そのインドではまり、今はインド仏教の頂点に立ったのだ、日本人でありながら
インドでは少数派の仏教徒、その信者を爆発的に増やしたのだ
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インドのカースト制、廃止が叫ばれ法律も出来たが、変わらない
バラモンクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラは教わった事がある
実はその下に不可触賎民、アウトカーストがある
佐々井秀嶺氏が広めた階層は、これらの人達だった
仏教は、人は平等と教える
ただそれだけでは、人は改宗しない
氏は、アウトカーストから抜け出すのに、教育の重要性を説き学校を作り、人をカーストから世に送った
これを見た不可触賎民は、そこに希望と未来と自由を見たのだ
仏教が一挙に広まった

さて、一向一揆
一言で言えば、一向一揆がこれと同じだったのでは、と
社会制度の破壊であり、身分の対流現象が始まる、新しいイデオロギーだったのだ
鎌倉仏教は、燎原の火となり、たちまち一国を総なめした

もう一つ、大乗仏教
これも同じだったろうと思う
仏教はブッダを離れ、国政となり身分制度となった
これに対する周辺民族の反発が、大乗仏教
大乗仏典は皆、仏弟子の否定がテーマになっている
そして、社会運動、社会改革のイデオロギーとなった

あっという間、初めての店

朝に通りかかった奥さんに、声かけた
午後に、店を開くよ、と

3時にピンポンが
ま〜だ〜、と朝の奥さん
友達まで連れて来た

慌てて出した
目立つビーチパラソル
キャスター付の台に、メークイン、中玉トマト、ミニトマト
自作のA型看板
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添え書きも、書いておいた
私はこれで、アトピーが治ったのだから
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あっという間に、売れた
汗だく、汗だく、滝の汗
補充にてんてこ、脇目も振らず・・・
お金の勘定、そっちのけ・・・

宗教、瞑想、芸術

だんだん形を成して来たが、まだ言葉には遠い・・・
宗教の根幹の話であり、恐らくそれは一つなのだろうが、今の私は便宜的に二つに数えている

一つは宇宙の意思、とでも言うべきものだ
何故人間は存在しているのか、そもそも宇宙は何故存在しているのか、と言う問いだ
とても答の出るものではなく、存在の意志、宇宙の意思、としか思えない世界なのだ
言葉足らずの私だが、五木寛之氏にははっきりした言及があり、氏も信じているので、詳しくは氏の著作を

この方面に指向性が強いのは、キリスト教
総ては神の思し召しだし、天地創造も神だ
仏教は、無い訳ではないが、下記の瞑想に内包されている様に思われる
神道では、畏敬する自然がその役割を担っているのだろうが、極めて浅い

二つ目は、瞑想だ
キリスト教では、この方面は薄い
修道院で垣間見られるが、付随的だ
仏教では、ブッダに強力な指向性がある
これに比べれば、宇宙の意志は、瞑想からの演繹物、と云う雰囲気が漂う
大乗では、仏教をインド周辺民族に適合させるため諸要素を多く取り込み、その分瞑想は埋もれたが、引き継がれてはいる
念仏であり、座禅であり、題目であり、護摩行だ
既に瞑想と云う言葉が使われていない分、ぼやけてはいる

さてこの瞑想は小脳の行為なのだが、その小脳に訴える働きを為すのが、上述の座禅等々の他に、音楽や読経、絵画や掛軸、彫刻や仏像、荒行や修行がある
感動を伴い、小脳に快感と刺激を呼ぶ働きをしている

古代においては、芸術と宗教は不可分だったのではないだろうか?
芸術行為が即、宗教だったのではないだろうか?
芸術は、宗教から分離したのではないだろうか?
因みに現在、宗教から完全に分離独立したのは良かったが、その為方向を失い、盲滅法状態と、私には見える

さて、これを思い出させる事件が、去年起きた、ボブ・ディラン
ノーベル賞が決まったのに、当人は雲隠れした
授賞式にはメッセージを送り、当人は出席しなかった
そのメッセージで、芸術は感動だ、と言っている
感動は、小脳の本性、小脳の快感だと言っているのだ
ボブ・ディランの言う事、ボブ・ディランの心性、同感の念を禁じ得ない

台所用天秤ばかり、自作した

台所用の秤、買いに行ったら結構高かった
それに、家にもかつて数台あったが皆壊れた印象がある
そこで、自作した
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ハンガーに、左は網袋にナス、右は醤油のペットボトルの上を切り紐で吊るした
ペットボトルに、釣り合うまで水を入れ、その水をカップで量る
今回は、凡そ2カップ弱、350gと見た

ナスの漬物、キュウリ、たくあん、ラッキョウの漬物や、梅干、梅酒など、皆々その塩や砂糖の分量で失敗して来た
そこで今回の決心に至る事となった

教育は、人質

定年になり、別荘に住み、畑を耕していたら、見えてくる事が幾つかあった
最初に気が付いたのは、そもそも何で働いていたのか、だ

今迄、働き、金を得るのは義務とも当然とも思っていたが、とんでもない間違いだった
自分で畑を耕していれば、生きていけるのだ!
では何故働いたか?
子供を学校にやる為だった、と気が付いた

明治政府は、それまでは現物納付の年貢を、金納の税金に変えた
もう一つ、教育を義務化した
その教育も金であり、物納は出来ない
これで当時国民の九割の、農民の生活が根本から激変した
一揆が江戸時代より増えたのは当然だろう

早く言えば、子供を人質にとり、農民を貨幣経済にぶち込んだのだ
金以外の生活、金以外の自由度を奪い、国民を奴隷にしたのだ
美辞麗句は沢山用意された
四民平等、職業選択の自由・・・
それは確かだが、職業を選ばない自由が消えて無くなった

仏教は、宗教ではない!?

以前のブログで、一向一揆を書いた
http://ondonpi.hatenablog.com/entry/2016/11/07/071700
これは、日本で土着化した仏教が、歴史のひとコマで放った光芒を、垣間見たものだった
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今回は、そもそもブッダが考えた事、やろうとした事に付いて、考えたい
と、言うのは、年を取り、最近ブッダが分かるような気がしている

加齢に伴う体の不調とその対応で、行き着いたのは樺島勝徳氏の禅体操だった
これで、50才手前の腰痛、肩痛、膝痛、踝痛、片頭痛はおろか、花粉症まで治った
因みに私のブログはこれで始まっている
有難かったのは勿論、それ以上に驚いた
それ迄、近くの医者、接骨院、大学病院に至る迄、何の効果も無かったからだ
そしてこの禅体操、加えて即効性があった
始めたのは去る大晦日の晩だったが、2週間程で効き出し痛みが無くなり、1ヶ月後の2月の花粉症は症状が出なかった

さてこれがブッダと係るのは、この禅体操がインナーマッスルの矯正と鍛錬になっていると気がついたからだ
ブッダ仏教の前に、ヨガの行者だ
私見では、ヨガとはインナーマッスルだと思う

この方面を多量に受け継いでいるのは禅宗
樺島氏の偉い所は、只座禅では無く、自分で考え、身体各部のインナーマッスル其々を鍛える、一連の体操セットを考案した事だろう
ブッダは若い頃、ヨガに没頭している

次のブッダとの接点は、つい最近起きた
早とちりだったが私は、ガン宣告を受けた、脳腫瘍だった
病院の廊下で、隠れて泣いた
その1ヶ月間、私は本当に死を覚悟した
通帳を一つにし、公共料金は引き落としから納付に、各権利書を息子に引き継ぎ、年金は遺族年金を調べ家族の生計を思いやった

で、それで憂いは晴れたか?
否、本当の葛藤はこれから始まった・・・
胸が焼け、胸を掻きむしり、息ができない
激しい心残りと悔悟の念だ
その時まではさほど考えた事も無かった、あれもこれもやりたい、あれもこれも見たい、つまり夢や理想を絶つ事が出来ないと言う、あせり、あせり、あせり、だった
これから逃れたい一心で、息絶え絶え、闇雲ながら、昔教わった瞑想をした
この時初めて、心がすうーっと落ち着いた、明鏡止水を得た

この時私は、大脳から小脳にトランスしたのだと思う
高貴な理想や夢は勿論、おぞましい憎しみや怨みや愛情、これらは皆、大脳の所産、空想物だと気が付いた
大脳はいつも激しく回転している
どちらが上か下か、大きいか小さいか、前か後ろか、貴いか卑しいか、得か損か
大脳の得意分野である
例えば上下を取ろう、自分が上、人が下と
たったこれだけでどれ程の憎しみが生まれる事か!
元々上下など無かったのだ、大脳がこさえた仮想空間、仮想現実なのだ
この大脳が作り上げた業火に、自分を焼いているのが人間だ、と気が付いた
だから大脳の無い動物には、此の手の苦しみはない
例えばワニ、背中を鳥が歩こうと、蛙が小便をしようと、目一つ動かさず岩と化す
所が餌が捕獲範囲内に入るや否や、ガバと一口、目にも止まらぬ一瞬劇
これが小脳である

ブッダはいつも、何をしているか?
あぐらをかき、手を組み、半眼で
それは、瞑想である
彼が言いたかったのは、瞑想だった
大脳はどれ程間違いを犯すか
それから逃れるのは、小脳しかないのだ、と
小脳の世界は、言葉で説明できない
言葉は、大脳の創作物だからだ
仏典は繰り返しばかりで、論理も筋道も、明快さも無いのはこの為だ

インナーマッスルの全ての神経は、小脳に収斂される
だからヨガでインナーマッスルを極めれば、当然小脳に至る
その小脳の禅体操、小脳のヨガ、これが瞑想だとブッダは気が付いたと思う

私は思わずに居られない
ブッダは宗教を始めたという認識は無かったのではないか、と
瞑想、即ち小脳の世界の真実を伝えたかったのでは、と

裏銀座縦走、マタギの夢の跡

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裏銀座を縦走した
筋肉が締まり、血流と汗、最上の快感

ただ・・・
稜線歩き、なんぼのもの!?
景色は一等、見晴らし最高、その通りだが、それだけの物、生活ではない
つまり気晴らし、遊びだ
生活は森の緑と、沢の水にある

三俣山荘の本、黒部の山賊
森と沢を自由に生きたマタギたち
伊藤正一氏が切り取った、最後の自由人のきらめきだった

甘いコーヒー、完成

念願の甘いコーヒー、遂に完成、安定した!
何、難しい事は無い、85℃以下の湯で淹れれば、誰でも出来る

この温度を得るのも、難しく無い
鶴口ポットの湯が湧いたら、カップに注いで冷まし、ポットに戻せば85℃位になっている筈だ
カップも温められるし、一挙両得だ
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コーヒーは奥が深いとか、専門店だの、プロだのと、辛気臭いイメージが先行するが、上の方法で、誰でも何時でも甘いコーヒーが安定して得られる

まとめれば五つになる
一つは銘柄で、苦いケニヤやキリマンジャロは避ける事
因みに甘い銘柄と云うのは無い

二つは焙煎で、苦い深煎りは避け、中煎りか浅煎りが良いと思う
またその煎りの均質性も重要で、豆の全部が均等に煎られている事は勿論、一粒の豆が、表面も芯も均等に煎られるのが理想だ
よくあるのは煎りが芯まで届かない事で、この時はコーヒーに青臭い味が混じる

三つは挽きだ
普通にミルで挽くと必ず微粉・パウダーが多量に混じる
この微粉が味の大敵、えぐみの元凶であり、これには長く悩まされた

プロペラ式も臼式もカッター式も、メーカーの高額な機種も、これから逃れられない
それがつい最近、さるStreamValleyと云う珈琲店で教えて貰った、ポーレックスの手挽きミルが良いと
図星だった、微粉が少なく、粗挽き、中挽き、細挽き共、粉と粒が揃う優れものだった

四つ目が最初に戻るが、湯の温度だった
85℃以下の湯で甘く、95℃以上の湯で苦くなるのが、今回の発見だった

五つ目は、淹れ方で、セオリー通りを守れば良い
蒸らし、高さを上げ、上下しながら高さを保つ
決してペーパーフィルターに、湯が掛からないように

長かった〜〜〜ぁ

アイヌと縄文と蘇我氏

うる覚えの記憶二つ、の話
しかし数ある説を乗り越えて、私の頭から離れない説二つ、の話である

一つはロシア人だったか、うる覚えだが、江戸時代後期に日本を探索したその手記に、本州を挟んで、沖縄とアイヌは似ている、と残している
小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い
対する本州人は大顔でのっぺり、胴長で毛が薄い、と

もう一つジャワ島だったか、まだらに分布する少数民族、小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い、その民族をテレビが特集していた
その示唆する所が、特異で記憶に残った
つまりアフリカで誕生した現人類、これの脱アフリカ、出アフリカだが、一様に連続したものではなく、波状で発生しており、ジャワの少数民族はその原初的な特質を持っている、と言うものである
それが、上で繰り返した、小顔丸顔云々なのだ
これが最近、私の中で結びついたのが今回の記事だ

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と云うのは縄文人の出自が、昔から皆目見当がつかない、と云う恨みが通奏低音のように、私の心情の底辺にあった
「何故か分からないが、縄文人は最初から居た」と考えるしか無いのだ
これが最近ようやく判明した、スッキリした、と云う話
これに比べれば、以前のブログで記事にした出雲神話など可愛いものである
つまり縄文人朝鮮人が混血し出した弥生後期に、縄文系が勝利した物語に過ぎない

この縄文人とジャワ少数民族だが、似た民族が、実は他にも居るのである
シベリアやアメリカ大陸である
その共通点の一つは、アフリカから一番遠い端っこに集中している事だ
つまり後続の出アフリカ人に圧迫され、岸壁の瀬戸際に追い詰められた様相を呈して分布しているのである

もう一つ、誤解を恐れず言えば、その言語、共通して抱合語なのだ、或いはかつて抱合語だったのでは、と
印欧語は屈折語、ウラルアルタイ語膠着語、これらは言語学的に合理的で楽ちんな文法なのだ
つまり、語の語幹があり、語尾が変化して、語間の接続が示され、文が構成される
この変化さえ磨り減ったのが、孤立語の中国語だ
つまりこの抱合語は、最も原始的、原初的ではないかと思うのである

そしてドキッとするのは、日本語の文は、最下端の語が、上の語を一手に引き受け、下から包み上げるような入れ子構造を持っていると云う事だ、つまり抱合語の特性を持っているのだ
時枝氏もこの事に気が付いている

この抱合語、詳しくは言語学の本を見て戴くとして、私は縄文人イコールアイヌ人だと思っている
学者には、アイヌ人は白人と言う人も多いが、これでは問題が拡散するばかり、五里霧中となる
理由は、最も重要な単語、神とカムイが同源だし、関東以北の地名のあらかたはアイヌ語で解明されるからだ

それが明らかに膠着語である、現代の日本語に至る理由が、以下の推測である
弥生は急速に東漸したが、桜前線の様に進んだのではない
稲作は、東に低地湿地を求めて広がったが、近くの山々には縄文人が生活していた
つまり縄文のアイヌと弥生の朝鮮人は、桜前線ではなく、列島で斑模様を構成したのである
この時縄文人が徐々に、山から降りて里の生活に同化したのだと思う
だから先住民のアイヌ語は地名としては残ったが、生活は弥生を受け入れたので、弥生人膠着語に同化した、と思うのだ