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草地に自生したアサツキ、叢生栽培のヒント
奇跡のリンゴ、杉山修一氏が解けば
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狩猟民族、稲作民族、交易海洋民
夜中、突然、呼吸困難
花粉症
花粉症の季節が来ました
例年なら、立春と同時にやってくるのに、今年は寒く長い冬の後、一ヶ月遅れで珍しい事です
その分堰を切ったように襲い掛かってきました
このブログの最初の頃に書いた、樺島勝徳氏の禅体操の記事、コンスタントに閲覧されて有り難い事です
樺島勝徳氏の人徳、ネームバリューなのだろうと、感謝しています
さてこの禅体操、毎日やっていますが、花粉症にも良く効くので、是非お知らせしたいのです
この禅体操は基本的には、呼吸法に合わせてインナーマッスルを調整し刺激するものだと思っています
なので、肩や腰、膝や踝の痛みに効きます
私が初めたのも、登山で痛めた膝に苦しみ、人づて本づてに辿り着いた樺島勝徳氏の本がきっかけでした
病院でも整骨院でも、永らく治らなかったのに、たちまち治ったのでびっくりしたものです
もう一つのびっくりは、その年の花粉症に、その春は掛からなかった事でした
この禅体操、花粉症にも効いたのです!
私の花粉症は古く、高校生の時にははっきりと記憶があり、その当時は花粉症という言葉があったかどうか、と云う古い時代からのものです
且つ、重症、重体に属し、生活や仕事は当然、睡眠もままなりませんでした
長年、耳鼻科に行き、強烈なステロイド剤で押さえ込んでいたのです
この禅体操で花粉症が治る機序ですが、私は以下のように解釈しています
禅体操で、体幹のインナーマッスルが刺激され鍛えられ、姿勢筋が蘇り、胸が開き、背筋が伸びます
同時に、姿勢筋イコール呼吸筋ですので、その呼吸が深まり、大量の酸素が血液に補充されます
同じく、姿勢が伸びて上焦部が広がると、その場所つまり胸、顔、特に鼻にも多量の血液と酸素が供給されます
かくして鼻の粘膜が、血流から酸素と栄養を受け取り生き返り、花粉症に打ち勝つのだと思うのです
最期に、この禅体操、即効性があります!
鼻ズルが始まったら、即、禅体操を初めます
するとあら不思議、たちまち鼻ズルが収まります
数時間しか効かない場合は、体幹のインナーマッスルが出来ていなくて、元に戻るからですが、その時は、またやれば良いのです
毎日やっていれば体幹が育つので、最初から鼻ズルは起きませんし、発症しても軽く済みます
邪馬台国は熊本県、伊藤雅文氏
七輪で焼き魚、新聞紙の火起こし、着火
焼き魚は、みんなどうしているのだろう?
ガスコンロ付属の、天火だろうか?
最近は、上火だけでなく下火のあるのもある
でも私はこれを、やらなくなった
受皿の器具、これが巨大で、その洗いが鬱陶しい
ある友人は工夫し、魚の下にアルミホイルを敷き、これで改善されたと言っている
でも最近は、フライパンにクッキングシートを敷き、焼くようになった
生魚だけで無く、干物、塩漬け、皆うまく焼ける
ネットを見ていると、七輪とその着火法が賑わっている
で、お隣の七輪を借りてやってみた
七輪の内側に、丸めて棒状にした新聞紙をめぐらし積み上げ、真中に空いた穴に、火の付いた新聞紙を入れる
頃合いをみて、炭を乗せていく
最初新聞が燃えている時は、煙がでるから、屋外でやる
都会の庭先なら、かろうじてできる程度かと
新聞が燃え尽き煙が出なくなったら、室内に持ち込める、火鉢代わりにもなる
秋刀魚は勿論、屋外で焼くだろうが・・・
さあこれで、煙と油に燻された美味しい秋刀魚、ブリの巨大なカマが、食べられるゾ!
稲垣えみ子、GDP、自給自足、DIY
稲垣えみ子と言う人がいる
生活を徹底的に断捨離する、ミニマリストと言うのだそうだ
電気が、月150円とか
掃除機、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、電気オーブン、エアコン、皆使わない
及ばないが、自分と似ていると思った
それを各所で講演した折、質問を受けた
その著書に沢山の栞を挟んだ人だったと言う
ただその本が図書館から借りた本と分かって激怒した、とツイートしてしまった
これでネットが炎上したという、稲垣はただのケチだと
ちょっと残念に思った、問題はもう少し深いものだと思うからだ
先ず、私が家電を使わないのは、落ち着いてみれば、その方が楽だからだ
掃除機と箒は同じ手間なのに、掃除機は時々そのごみ処理の作業が必要になる
エアコンも不要だ
趣味の登山で基礎代謝が向上し、夏の暑さは苦にならなくなった
断捨離が目的ではなく、その方が楽だったから、私は自然にそうなった
次に、家の20km内にスーパーが無い
食べ物は、畑で野菜を作り自炊した方が早い
物は、工夫したりDIYする方が早い
お金は急速に、要らなくなった
段々、自給自足、自由自作の生活になって行った
そして、これが楽しいのだ
生活が深く納得できるものになり、充足感が満ちてくる
都会での、働いても働いても、買っても買っても、埋められない飢餓感が、初めて消えた
人間はその体の周りに、ある程度の空間が必要なのだと思う
その空間が狭められ剥ぎ取られていくと、足りなくなる必需品を買う為、労働が生まれる
都会生活は、ねずみの回し車に似てくる
どれだけ走っても、一センチも進まない
この剥ぎ取られ方に正比例するのが、労働と購買だ
多くの人では、労働と購買の額は一致する
労働で金を得、購買でその金を消費するからだ
その労働と購買だが、これがGDPでカウントされる
私はこれは、不思議な数字だと思う
労働と購買は、反対方向の動きであり、足せばゼロになる筈の、労働の金と、消費の金が、両方向でカウントされるからだ
何を言っているか、分かるだろうか?
例えば私の生活は、GDPにカウントされていない
耕すのと食べるのが一致し、作るのと使うのが一致し、その間に金は移動しないので、カウントされない
そうするとGDPを増やす為には、人から周辺空間を剥ぎ取れば良い事になる
沢山剥ぎ取れば、沢山の労働と沢山の消費が生まれて、沢山のGDPが残る
都会人は、私から見れば丸裸、丸腰に見える
平らな水面を叩いて波を起こし、その山と谷の数をカウントして何の意味があるのだろう
ならせば、元々ゼロなのに
これが経済だろうか?
これが増える事が、経済成長だろうか?