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ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

瞑想

最初、瞼が腫れた
次に顔半分が腫れ、眼がとび出した
その形相、お岩さんそのものだった
(後で思ったが、お岩さんはガンだと思う、その症状、私とそっくりだ)

3/14、近くのひらと眼科医院へ行った
眼の周囲を触診してポツリ、目の奥にしこりがある、と
驚き、聞いた、しこりとは何か、がんの事か、と
医者は答えなかった、ここでは脳の中は分からない、紹介状を書く、と
脳の中、という言葉に、私は二度驚いた

翌3/15、関東労災病院でMRIを撮った
その画像に驚いた、眼球の真後ろ、脳内に卵大の銀色に光る塊があった
すぐさま、国立がん研究センターへの紹介状を渡された
紹介状の嵐、矢のように、がんセンターに突き刺さった
私は観念した、脳腫瘍だ・・・
この日、私は泣いた
予約は一週間後になった、これが死刑宣告の日と思った


私は、通帳を一つにした
所有する3件の家は、電気ガス水道通信NHK全部、銀行引き落としから振込に変えた
遺族年金も調べた、7割程の金額が妻に支払われる、と知った
道志の別荘は、息子を連れて行き、大家さんに紹介した
来年の事は、この息子を私と思い、話をしてくれ、と

この間、10日間ぐらいだろうか、私は死ぬと思っていた
ただ一つ、友人が脳血管障害の治療、その為の大手術をした話は聞いていた
頭蓋骨を一周して切り取り、ヘルメットを脱ぐように頭蓋骨を外し、血管を縫い合わせた、と
その予備知識があったから、私は人格崩壊から免れた、と思う
ただ、がんの中で最も恐ろしい脳腫瘍だ、再発を繰り返し、遅かれ早かれ結果は同じだ

私は関東労災病院の廊下で、隠れて泣いた、胸が張り裂けるようだった
それは、この世から去る恐怖と未練だった、と思う
具体的には、道志の別荘で始めた畑、もっとやりたかった、こよなくやりたかったと願った
道の駅から近いから、カフェの夢も抱いた
これらが狂おしいほど、狂おしく、胸を掻きむしった
不思議な事に、死そのものの恐怖は、感じなかった
まだ痛みや苦しみが発症していなかったから、かも知れない
家族とも別れる事になる筈だが、これも感じなかった

数日後、また胸が焼けただれ、張り裂け、掻きむしり、窒息した
たまらず部屋を飛び出し、多摩川の河川敷に空気を求めた
広かった、上流も下流も空も
少年野球が、声を張り上げていた
幼児が、遊具に取り付こうとしていた
足元には、菜の花が一輪、一輪、一輪
皆々、輝いていた、美しかった、たまらずいとおしい、と思った
何故だろう
私の心が、諦め、遠のいて行くのが感じられた
執着が、薄れ始めた
と云うか、私を狂わせるのが執着だった、と気付き始めた

仏教では、愛憎を執着と云い、遠ざけるらしい
分からなかったし、逆にキリスト教では愛は徳目だが、この時初めて分かる気がした
これがある限り、死は恐ろしいものに化けて襲いかかる
そして七転八倒、狂い泣きしながら、死ぬ事になる
執着の最たるものは、善悪、正邪、愛憎のように、他を憎む迄に至る情念だ
これだけは避けなければならない、最悪だ
それより弱いがやはり、理想、希望、夢、これらも執着なのだと知った

河川敷での発見、共通項、それは小脳の世界ではないだろうか
小脳の世界とは、執着の無い世界ではないだろうか
小脳に生きる爬虫類は、善悪を知らず、愛憎を知らず、執着を知らない
大脳を持つ哺乳類にして初めて、いつくしみと憎しみを知り、正邪を知り、また夢を見る
これが巨大な妄想を生み、執着を生む
これが無ければそもそも、生も死も、その境界も、知らずに済んだのではないだろうか

河川敷での発見以来、私は部屋で瞑想するようになった
昔あるサークルで、瞑想を教えてもらった事がある
暗い部屋で、静かに音が流れ、言われるままに、自身の懐かしい風景を、楽しかった情景を繋いでいく
私は、故郷の川や林に分け入り、在るものを在るがままに見た
それらは多くは、幼児期の記憶であり、その情景の連鎖だった
今思えば意思、と云うものが無い世界だった
あの時と河川敷は、瓜二つだった
意思が無い、そして執着が無い、小脳の世界、爬虫類の世界だ
死ぬ時は子供に戻ると云う、きっとこれではないだろうか

3/22、国立がん研究センターへ行った
私は詰め寄ったが、医者は答えなかった
ステロイド薬を処方され、これが効いたらがんではない、との説明だったように思う
そして数日、目の腫れはひいて行った

4/5、二度目のがんセンターだ
この時、眼の腫れは完全に消失していた
けれども医者は、何も言わず、三度目の4/25を指定した
その日が、最後の審判になるのだろうか