ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

インナーマッスル、おしゃれ、スポーツ、音楽、小脳が気持ちいい事

樺島勝徳氏の禅体操、これを自分のエクササイズにして、もう十年以上になると思う
膝痛、腰痛、肩痛、踝痛などは勿論、花粉症に迄効果があったからだが
もう一つ、快感が有ったから、続いたのだと思う
この禅体操の途中から、体が軽く、しなやかになり、若返るのが実感される

この禅体操、その特徴はインナーマッスルを刺激し、活発化し、鍛える所にある
ブッダはヨガ行者だし、仏教と云い座禅と云うが、ヨガの世界の内側にある
そのヨガは、インナーマッスルに特化した操体運動だ
つまり、インナーマッスルを介して、これと繋がる小脳を刺激する
これが、大脳のくびきからの開放された小脳の喜び、小脳の囁きではないか、と思うようになった
それを快感と感じ、気持ちいい、と感じるのではないか

私達の生活は、大脳に縛られている
倫理、正邪、損得、利害、貴賎、大小と、大脳が大活躍している
生きて行かなければならず、食べて行かなければならないからだ
定年になり、年金暮らしで、これから離れたと思った
そして百姓を始め、自給自足の真似事だが、いつしかこれが楽しみになった
それが知らない間に、自給自足の呪縛に捕らわれていた、と思う
つまり自分を、律し始めていた
自分では、貧乏を楽しんでいる、と思った
身なりはいつしか、百姓を通り過ぎ、乞食の風体に近づいたが、これを誇った

そんな時に見つかった脳腫瘍、万一を想定し、様々な財産上の処置を講じたが
同時に無性に、お洒落をしたくなった
乞食の衣服を、かなぐり捨てた
真っ赤なワイシャツを、30年ぶりにオーダーし、Gパン、革ジャン、絹のマフラーで
花見で賑わう中目黒で、妻とフレンチを食べた
今となっては信じられない事だが、私は若い頃、お洒落だった

長くなったが、これは小脳だった、と今、思う
大脳の縛りから、小脳が叫び声を挙げたのだと思う
自由になりたかったのだ
小脳は色んな形で、発露を探す
多摩川の河川敷の少年野球もそうだ、あれは筋肉と小脳が躍動する姿だ
音楽もそうだ、小脳がどっぶりとその自由を満喫する姿だ

共通点は、大脳と意志がない事だ
人生は逆転しているのではないか
生きる為に判断するのは大脳であり、体と小脳は金儲けの為の小使いか家来だと思ってはいないか
本来は小脳が喜び気持ちよくなるのが目的であり、大脳はその補助だった筈ではないか