ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

為替で分かります、戦後経済と世界

[きっかけ]
田舎へ行き、自然農法にあこがれました
二股の大根、背割れした人参、あばたづらのじゃが芋、皆々幸せでした
このお陰で、しつこいアトピーも治りました
あるとき時期が集中する収穫物を小籠に並べ、自宅の庭先にビーチパラソルを広げ、100円ショップを開きました
お客さんと楽しくもあり、嬉しくもありましたが同時に、これで子育てと家ローンは、完全無欠に不可能と知りました
ネットには、自然野菜の宅配で成功している若者たち、彼らは神様、雲の上、スーパーマンに見えました
真夏の炎天下、汗と泥の草むしり、熱波のゆらめき、かげろうか蜃気楼か、これはこの世かあの世か・・・、私は、経済って何だろう、と思い始めました
 
経済の事は何も知らないが、テレビもラジオもこの世は世界中、経済だらけだ
経済が普遍と万能の神様になり、宗教と哲学は吹っ飛んだ
困るのは、その経済現象の理屈や説明が、学者や評論家がよってまちまちな事だ
あるいは、次々と起きる経済事象に、その事象の数だけ新しい理論や説明が持ち出され、もはや理論の体も学問の体もなしていない
経済とは人間の営みであり、自然科学とは異なるのはわかるが、あんまりだ
有為天変の戦後経済、絶望的に落ち込んだ地方、失われた30年、にもかかわらずの円高、などなど、腑に落ち納得できる説明は聞いたことがない
 
そんな折ふとした事から、たった一つの理論で戦後の日本経済と世界経済を一刀両断に説明できる理論があることを知った
それは「為替」であり、その人は「安達誠司」と言う
余り嬉しいので、述べてみたい

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その前に戦後の高度成長、爆発的な高度成長、これがなぜ起きたかに付いて見てみたい
終わった事だし、過去の事だと思うだろうが、明治維新から80年、求めに求めて得られなかったものが何故、終戦と共に簡単に達成したのか
学校では、維新より日清日露満州を経て、たゆまぬ努力と苦難の歴史の成果と教える
NHK大河ドラマはこれを繰り返し、万人に浸透した
また朝鮮戦争特需は必ず、引き合いに出される
或いは戦勝国ならぬ敗戦国の日本とドイツで起きたことに注目し、軍備に金をかけずその分経済に邁進できたからと言う評論家もいる
更には日本とドイツの国民性、誠実勤勉な精神論さえ出て来る
 
皆違う、全部違う、と私は思う
大日本帝国満州で、何を売っていたかご存知だろうか
マッチ箱だった、こんな物が帝国主義だろうか、後は推して知るべし
そして明治80年の帰結は「大本営発表」だった、と私は思っている
何も言わず服従するだけ、突撃特攻だけの国民にした
明治は、日本を北朝鮮にしたのだ
何故こんな事が可能だったか
身分制度?、ではなかったろうか
士農工商は無くなったが、大地主と無数の小作人ができた
その小作人には選挙権は勿論、人格が無かった
これも北朝鮮と同じパターンと言っていい
私の明治観は、一般とは対極に、低く低く低い
明治維新礼賛者の司馬遼太郎は、悪いのは統帥権とし、明治維新と区別する
では聞く、統帥権治安維持法はなぜ生まれたか?
広範な無口の小作人を前提に成り立つ、これが明治の帰結ではないか!
 
その明治80年を終わらせたのは、マッカーサーだった
それも厚木飛行場に降り立った、ただそれだけで、80年の明治を一瞬に終わらせた
「カッコ良かった」のだ
サングラスとコーンパイプ、軽快なシャツの軍服、それはダサイ帝国軍人とは月とスッポンだった
それを見た人々から、突撃特攻大本営発表が一瞬に吹っ飛んだ
ちなみにこれが「教育」というものだと思う
営々80年の擦り込みも、真実に触れれば1秒で吹っ飛ぶ
人は初めて自由を知った
巷ではリンゴの歌がはやった
同時にマッカーサーは農地改革を断行 し、人は地主からも身分制度からも自由になった
 
[会社というレバレッジ]
さてこれだけで、高度成長が始まったのではない・・・
話はタイムスリップする
戦後19年目のさる田舎、電車通学の高校一年生の隣、ボックス席に大人二人が腰掛けた
話から、小さな会社の社長さん二人?、らしかった
一人が「ダメだぁ、アメちゃんベチャー、ダメだぁ」
(私はこの時初めて、日本はアメリカべったりの国だと知った)
もう一人が「そうだなー、うちもダメだ」と慰めている
「でもなぁ、日本をここまでにしてくれたのもアメリカだからな・・・」
(それを聞いた時の驚き、今でもハッキリ思い出す)
(アメリカが何をした!、日本を壊して、何をした!)
55年経って今わかる、アメリカは「会社」を教えたのだ、と思う
勿論明治にも会社は有った、官製工場も、払い下げ工場も、財閥の会社も、民間商業資本も有った
ただアメリカはその会社を、一般人や庶民がやってもいい、自由なのだ、と言う事を教えたのだ
言葉でも教育でも無い、アメリカ消費文明を映画やテレビや新聞、これを見て本能的に知った
 
もう一度、話は飛ぶ
昔の田舎はどんなに貧しかったか、ご存知だろうか
茶の間には囲炉裏があった
そこで火を焚けばどうなるか、分かるだろうか
部屋と家が煙だらけになり、天井は真っ黒、ススだらけ
田舎は、縄文時代を生きていた
これが小学生の頃だったか、カマドになった
煙突が外に出たが、灰はまだ家の中だった
これでようやく、弥生時代に進化した、と言える
収入は、年に一度の米の収穫だけだった
勿論普段からツケで必需品を買っているから、年一回の収入は瞬時に消えた
この時わずかでもお金が残る状態を、年が越せると表現する
足りず、元旦から借金取りに責められる状態を年が越せない、と言う
勿論、田畑を切り売りし、最後は娘も売った
おしん」は毎年の現実であり、恐怖だった
晦日NHKで、古寺の鐘の音を聞くのが年越しだと思っているのは、バカモノだ
こんな人達が、ハワイやブラジル、満州に行ったのは、不思議でも何でもない
 
そんな田舎で、耕運機を買う家が出てきた
これはすごい事だった、前は広い田んぼを鍬で耕した
地獄の劫火に等しい、過酷な労働だった
次には、原チャリを買う家、そして遂には中古車を買う家まで現れた
理由は「会社」だった
会社に行く人が出て来、現金収入が入るようになったのだ
後は早かった、またたく間に「豊か」になって行った
(ここで注意しなければならなのは、耕運機や自動車のお金は、米の代金で得たものでは無く、会社の給料だった、と言う事
農業その物は、生きるスレスレの収入しか産み出さない、その構造は昔も今も同じだ、と言う事
勿論大規模農業に転進した農家は別)
 
話はようやく近づいた、「会社」に
この会社、最初は小さかった、合資会社、合名会社、有限会社と
近くにジュースの工場(こうば)が出来た、一軒の家、一軒の敷地に出来た工場だった
貰って飲んだジュースは、頭がしびれるくらい甘かった
そして株式会社が生まれ、合併と大型化の嵐が、日本中で吹きまくった
 
私が言いたいのは、会社というものの資本集中だ
それまで田舎に有ったのは、大工、左官、トタン屋、瓦屋、鍛冶屋であり、これらは個人の家の庭先で起業できる仕事だった
これがヨチヨチながらも株式会社になると、その資本集中、資本集積度は何百倍、何千倍と進化する
つまり個人が働き貯金して始める庭先起業と会社では、そのレバレッジ、数百数千数万倍の開きが生まれる
これに加えて、貧しさの恐怖から、そしてマッカーサーが見せた精神と経済の自由から、人は狂ったように働いた
娘を売るより、ハワイブラジル満州に行くより、それは天国だった
人は夢を見た
戦後の「高度成長」とその原動力、私はここに見る
 
[固定為替制度、360円]
1944年アメリカが、ブレトンウッズホテルに世界を集め、固定為替制度を始めた
今では信じられない制度だが、世界大戦の原因が平価切下げ競争だったからで、これの元を断つのが理由だった
瀕死状態の日本は360円とされ、これが30年ほど続く事になる
これが有難かった、メチャクチャ円安だったから
繊維工業や軽工業は勿論、重化学工場が芽生え、安いから売れに売れた
通産省も国内産業を保護し、競争力が付いてから、野に放ち、世界に放ち、アメリカに放った
怒ったアメリカと日米繊維交渉が始まり、これに当たった田中角栄氏は、繊維業者に金をつかませ黙らせた
日本の軽工業は、この時死んだ
(高度成長は、先に述べた精神と社会規範の自由、これが一つともう一つ、通貨が絶対的に安い事、これが条件になる
好例はベトナム
ベトナムアメリカにメチャクチャにされたが、憎んでいない
それどころか対米輸出に励み、利益を享受して喜んでいる
驚いた事だが、対米戦争でアメリカを「識った」のだ
日本は負けて、アメリカを「識った」ように
そして後進国だから通貨が安い
さあ、条件が二つ揃った、これが東南アジアで唯一成功した理由だ
韓国は、ちょっと違う、日本のコピーだ
中国は鄧小平で、これも少しの修正で適合する
彼が社会規範を開放し、美国のアメリカを目指した、と言う事)
 
1971年、世界に信じられない衝撃が走った
ニクソン氏が世界の決済通貨、ドル兌換停止を発表したのだ
理由はベトナム戦争で、この為大量印刷されたドルペーパーは世界にあふれ、 兌換に耐えられなくなったのだ
1972年アメリカは、今度はスミソニアン博物館に世界を集め、兌換停止と固定相場の矛盾を取り繕おうとした
1ドルは308円になった
追いかけるように1973年、石油ショックと狂乱物価が起きた
第四次中東戦争イスラエルにボロ負けしたアラブのファイサル王は、OPECというカルテル樹立に成功し、石油価格を暴騰させ、イスラエルアメリカと世界に復習した
(経済が、軍隊より強くなった瞬間だった)
これを機に、世界は変動相場制に移行せざるを得なくなった
スミソニアン体制は、二年しか持たなかった
円は100円を切るまでに高騰した
石油は日本産業の基礎だから、その暴騰と円高で、日本の重厚長大産業は、軽工業に続き、この時死んだ
(ちなみに重厚長大産業そのものは、韓国台湾など未だに通貨と労働力の安い国々へ流れて行った)
日本は、精密機械、エレクトロニクス、自動車に向かうしかなくなった
 
日本は高度な技術を要する産業構造改変へ、必死の努力を傾けた
そのかいあって当時の世相は、NTTやJT民営化などに沸き、好景気を取り戻した
問題児はいつもアメリカで、双子の赤字に苦しんでいた
財政の赤字は軍事費で、ベトナム敗戦で気が付くべきなのに、世界戦略に拘泥していた
貿易の赤字は、日欧の追い上げだった
この時期アメリカ経済学は混乱していたのだろうか、FRBのボルカー氏は、マネタリーサプライ縮小の挙に出た
金利は高騰し、ますますのドル高、貿易赤字は拡大した
レーガン氏も共和党の本能を全開し、小さな政府と規制緩和グローバル化、一言で言えばハゲタカ資本主義を世界に放った、レーガノミックス
これも金利上昇と結果としてのドル高、日欧の輸出攻勢を招き、更なる双子の赤字は膨らみに膨らんだ
(ちなみに揺り籠から墓場迄のイギリスで、ハゲタカに舵を切ったのはサッチャー氏だ
その名残りがロンドンの、ハゲタカ金融マーケットだ
日本でハゲタカを推したのは、小泉純一郎氏だった
大店法シャッター街があふれ、労働者は派遣に落ちた
アメリカのハゲタカは、日本の空を自由に飛翔した
キャンプデービット山荘への招待は、そのご褒美だった)
 
1985年9月アメリカはまたまた世界を、今度はプラザホテルに集めた、プラザ合意
日米英独仏で為替協調介入し、一方的なドル安を強要した
(問題児を通り越し、世界の悪魔、この世の鬼畜生になった)
ドル円は240円から120円、2倍に跳ね上がった
360円時代から見ると、3倍になった
アメリカは見事に復活したが、特に日本の落ち込みはひどかった、と言うか失われた30年の始まりだった
輸出品がいきなり倍になって、やって行ける会社は無い
社長の自殺は、毎年増えた
企業は海外に逃げ、日本は空洞化した
逃亡者はまだいい、農業漁業畜産は逃げられない
彼らには値段が3分の1になった外国農産物が、襲いかかった
(日本農業は労働集約型とか、アメリカは大規模機械化とか、或いは農業改革だの、皆々詭弁だ、嘘だ
地方の絶望、その真の理由は、工業が円為替を3倍にした事にある
ヨーロッパが工業から農業に補助金を出すのは、真実、真理と言える)
同じく逃げられない若者の就職氷河期はロスジェネを産み、引きこもりと精神疾患と犯罪を産んだ
1987年日銀は、不況対策で公定歩合を2.5%に引き下げたが、これがバブルの引き金となった
1990年、慌てた日銀は総量規制を導入、公定歩合を6%に引き上げた
翌年、地価や株価が暴落し、バブルは崩壊した
プラザ合意は、日本で血刀を振り回し、暴れまくったのだ
 
[無知無策の日銀、リーマンショック]
(今後も、書き足していきます、よろしく、です)