ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

アイヌと縄文と蘇我氏

うる覚えの記憶二つ、の話
しかし数ある説を乗り越えて、私の頭から離れない説二つ、の話である

一つはロシア人だったか、うる覚えだが、江戸時代後期に日本を探索したその手記に、本州を挟んで、沖縄とアイヌは似ている、と残している
小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い
対する本州人は大顔でのっぺり、胴長で毛が薄い、と

もう一つジャワ島だったか、まだらに分布する少数民族、小顔で丸顔、彫りが深く髭が濃い、その民族をテレビが特集していた
その示唆する所が、特異で記憶に残った
つまりアフリカで誕生した現人類、これの脱アフリカ、出アフリカだが、一様に連続したものではなく、波状で発生しており、ジャワの少数民族はその原初的な特質を持っている、と言うものである
それが、上で繰り返した、小顔丸顔云々なのだ
これが最近、私の中で結びついたのが今回の記事だ

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と云うのは縄文人の出自が、昔から皆目見当がつかない、と云う恨みが通奏低音のように、私の心情の底辺にあった
「何故か分からないが、縄文人は最初から居た」と考えるしか無いのだ
これが最近ようやく判明した、スッキリした、と云う話
これに比べれば、以前のブログで記事にした出雲神話など可愛いものである
つまり縄文人朝鮮人が混血し出した弥生後期に、縄文系が勝利した物語に過ぎない

この縄文人とジャワ少数民族だが、似た民族が、実は他にも居るのである
シベリアやアメリカ大陸である
その共通点の一つは、アフリカから一番遠い端っこに集中している事だ
つまり後続の出アフリカ人に圧迫され、岸壁の瀬戸際に追い詰められた様相を呈して分布しているのである

もう一つ、誤解を恐れず言えば、その言語、共通して抱合語なのだ、或いはかつて抱合語だったのでは、と
印欧語は屈折語、ウラルアルタイ語膠着語、これらは言語学的に合理的で楽ちんな文法なのだ
つまり、語の語幹があり、語尾が変化して、語間の接続が示され、文が構成される
この変化さえ磨り減ったのが、孤立語の中国語だ
つまりこの抱合語は、最も原始的、原初的ではないかと思うのである

そしてドキッとするのは、日本語の文は、最下端の語が、上の語を一手に引き受け、下から包み上げるような入れ子構造を持っていると云う事だ、つまり抱合語の特性を持っているのだ
時枝氏もこの事に気が付いている

この抱合語、詳しくは言語学の本を見て戴くとして、私は縄文人イコールアイヌ人だと思っている
学者には、アイヌ人は白人と言う人も多いが、これでは問題が拡散するばかり、五里霧中となる
理由は、最も重要な単語、神とカムイが同源だし、関東以北の地名のあらかたはアイヌ語で解明されるからだ

それが明らかに膠着語である、現代の日本語に至る理由が、以下の推測である
弥生は急速に東漸したが、桜前線の様に進んだのではない
稲作は、東に低地湿地を求めて広がったが、近くの山々には縄文人が生活していた
つまり縄文のアイヌと弥生の朝鮮人は、桜前線ではなく、列島で斑模様を構成したのである
この時縄文人が徐々に、山から降りて里の生活に同化したのだと思う
だから先住民のアイヌ語は地名としては残ったが、生活は弥生を受け入れたので、弥生人膠着語に同化した、と思うのだ