ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

仏教は、宗教ではない!?

以前のブログで、一向一揆を書いた
http://ondonpi.hatenablog.com/entry/2016/11/07/071700
これは、日本で土着化した仏教が、歴史のひとコマで放った光芒を、垣間見たものだった
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今回は、そもそもブッダが考えた事、やろうとした事に付いて、考えたい
と、言うのは、年を取り、最近ブッダが分かるような気がしている

加齢に伴う体の不調とその対応で、行き着いたのは樺島勝徳氏の禅体操だった
これで、50才手前の腰痛、肩痛、膝痛、踝痛、片頭痛はおろか、花粉症まで治った
因みに私のブログはこれで始まっている
有難かったのは勿論、それ以上に驚いた
それ迄、近くの医者、接骨院、大学病院に至る迄、何の効果も無かったからだ
そしてこの禅体操、加えて即効性があった
始めたのは去る大晦日の晩だったが、2週間程で効き出し痛みが無くなり、1ヶ月後の2月の花粉症は症状が出なかった

さてこれがブッダと係るのは、この禅体操がインナーマッスルの矯正と鍛錬になっていると気がついたからだ
ブッダ仏教の前に、ヨガの行者だ
私見では、ヨガとはインナーマッスルだと思う

この方面を多量に受け継いでいるのは禅宗
樺島氏の偉い所は、只座禅では無く、自分で考え、身体各部のインナーマッスル其々を鍛える、一連の体操セットを考案した事だろう
ブッダは若い頃、ヨガに没頭している

次のブッダとの接点は、つい最近起きた
早とちりだったが私は、ガン宣告を受けた、脳腫瘍だった
病院の廊下で、隠れて泣いた
その1ヶ月間、私は本当に死を覚悟した
通帳を一つにし、公共料金は引き落としから納付に、各権利書を息子に引き継ぎ、年金は遺族年金を調べ家族の生計を思いやった

で、それで憂いは晴れたか?
否、本当の葛藤はこれから始まった・・・
胸が焼け、胸を掻きむしり、息ができない
激しい心残りと悔悟の念だ
その時まではさほど考えた事も無かった、あれもこれもやりたい、あれもこれも見たい、つまり夢や理想を絶つ事が出来ないと言う、あせり、あせり、あせり、だった
これから逃れたい一心で、息絶え絶え、闇雲ながら、昔教わった瞑想をした
この時初めて、心がすうーっと落ち着いた、明鏡止水を得た

この時私は、大脳から小脳にトランスしたのだと思う
高貴な理想や夢は勿論、おぞましい憎しみや怨みや愛情、これらは皆、大脳の所産、空想物だと気が付いた
大脳はいつも激しく回転している
どちらが上か下か、大きいか小さいか、前か後ろか、貴いか卑しいか、得か損か
大脳の得意分野である
例えば上下を取ろう、自分が上、人が下と
たったこれだけでどれ程の憎しみが生まれる事か!
元々上下など無かったのだ、大脳がこさえた仮想空間、仮想現実なのだ
この大脳が作り上げた業火に、自分を焼いているのが人間だ、と気が付いた
だから大脳の無い動物には、此の手の苦しみはない
例えばワニ、背中を鳥が歩こうと、蛙が小便をしようと、目一つ動かさず岩と化す
所が餌が捕獲範囲内に入るや否や、ガバと一口、目にも止まらぬ一瞬劇
これが小脳である

ブッダはいつも、何をしているか?
あぐらをかき、手を組み、半眼で
それは、瞑想である
彼が言いたかったのは、瞑想だった
大脳はどれ程間違いを犯すか
それから逃れるのは、小脳しかないのだ、と
小脳の世界は、言葉で説明できない
言葉は、大脳の創作物だからだ
仏典は繰り返しばかりで、論理も筋道も、明快さも無いのはこの為だ

インナーマッスルの全ての神経は、小脳に収斂される
だからヨガでインナーマッスルを極めれば、当然小脳に至る
その小脳の禅体操、小脳のヨガ、これが瞑想だとブッダは気が付いたと思う

私は思わずに居られない
ブッダは宗教を始めたという認識は無かったのではないか、と
瞑想、即ち小脳の世界の真実を伝えたかったのでは、と