ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

早稲田祭と、教育と、文明と

早稲田祭に行った
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大ステージを埋めて広がる四五十人の踊り手、赤白黒の衣装がひるがえる、激しく、あざやかな踊り、そしてその音楽の洪水に、爺さんの私は感動のしっぱなしだった
その見事さ、涙が出そうになった
名はあるのだろうか、後でネットを調べたら、踊り侍と、下駄ッパーズと分かった

もう一つ、木陰の間で、男女五六人ほどが歌った、ブンブン、ブブンと、リズムばかりで、ほとんどメロディーが無い、不思議な音楽、それと合わせた、キレッキレの踊りというか動きというか、あれも頭から離れない
調べたら、あれがアカペラなる物、と

何れも感動した、その芸、プロ並みなのだ
現に、日本各地で活動、公演していた
それから数日、あの洗練度、極み、頭から離れなかった
田舎の掘っ立て小屋で一人、畑を耕すのとは距離があり過ぎた

そしてぼんやり「集まり」では、と思った
集まる若者、集まる情報、集まる技術、集まる知性、そこで働く、競争原理、急速にいや増し、極まる高み

私は教育が、分からない、騙されたと云う気持ちさえ持っている
我が子の教育に、何の興味も湧かなかった
読み書きそろばんは、分かる、実用だ
論語暗記になると、もう分からない
近代になり、それが自然科学に代わるが、これは実用だ、ノウハウであり、社会対応だ
ただ一つ、学問をすると自分で考える事が出きるようになると、僅かにこれの正しさは分かる

私が分からないと思うのは
教育の裏で、理解力や協調性と云う名で、国と会社に従順な人間を作っている、との思いが一つ
現に共に仕事をするに、教育の無い人は正に自由奔放、勝手気まま、作業は愚か、厳守時間さえままならない
その人の脳裏に経営者とか勤め人とかは、存在していない
私はあの時、教育に洗われた自分の脳を知った

もう一つ、教育と云う名のもとで行われているのは、身分制度の再生産では無いかと
人が人を公明正大に搾取する、合法手段の気がする
士農工商が大学に変わっただけ、ではと
私の教育への不信感は、そこら辺に在る

唯それで百パーセント納得し切れたか、それが分からなかった
それが今回の、早稲田祭だった
繰り返すが、「集まる若者、集まる情報、集まる技術、集まる知性、そこで働く、競争原理、急速にいや増し、極まる高み」
これで深く、心から、納得出来た気がした

話は飛ぶ、急転直下、文明の起源説だ
エジプトなどの4大文明では、まず大きな川のそばの肥沃な土地に人々が定住し、農業が始まったとされている
人口が増えて街ができ、王が生まれる
その権威の象徴として、ピラミッドなどの建造物が造られたと考えられてきた
学校でこの話を聞いて、私の脳細胞は反応した事が無い

杉山三郎氏は云う
先ず知恵者が現れ、雨季と乾季の始まりを知る小さなピラミッド、その角度が雨季や乾季の始まりを太陽の方角に合わせ、農耕にとって最大の情報を提供した
人は情報を求めて集り、且つ人口集中の生活の利便が得られた
知恵者とは神であり、情報は宗教となったと

私の脳細胞は激しく反応する
これは早稲田祭と、同じでは無いか
情報と利便性を求めて、人が集まり、都市ができる
自身の行動規範をさて置いて、何故古代人に別の規範を求めるか!?