ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

稲垣えみ子、GDP、自給自足、DIY

稲垣えみ子と言う人がいる
生活を徹底的に断捨離する、ミニマリストと言うのだそうだ
電気が、月150円とか
掃除機、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、電気オーブン、エアコン、皆使わない
及ばないが、自分と似ていると思った

それを各所で講演した折、質問を受けた
その著書に沢山の栞を挟んだ人だったと言う
ただその本が図書館から借りた本と分かって激怒した、とツイートしてしまった
これでネットが炎上したという、稲垣はただのケチだと
ちょっと残念に思った、問題はもう少し深いものだと思うからだ

先ず、私が家電を使わないのは、落ち着いてみれば、その方が楽だからだ
掃除機と箒は同じ手間なのに、掃除機は時々そのごみ処理の作業が必要になる
エアコンも不要だ
趣味の登山で基礎代謝が向上し、夏の暑さは苦にならなくなった
断捨離が目的ではなく、その方が楽だったから、私は自然にそうなった

次に、家の20km内にスーパーが無い
食べ物は、畑で野菜を作り自炊した方が早い
物は、工夫したりDIYする方が早い
お金は急速に、要らなくなった
段々、自給自足、自由自作の生活になって行った
そして、これが楽しいのだ
生活が深く納得できるものになり、充足感が満ちてくる
都会での、働いても働いても、買っても買っても、埋められない飢餓感が、初めて消えた
人間はその体の周りに、ある程度の空間が必要なのだと思う
その空間が狭められ剥ぎ取られていくと、足りなくなる必需品を買う為、労働が生まれる
都会生活は、ねずみの回し車に似てくる
どれだけ走っても、一センチも進まない
この剥ぎ取られ方に正比例するのが、労働と購買だ
多くの人では、労働と購買の額は一致する
労働で金を得、購買でその金を消費するからだ
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その労働と購買だが、これがGDPでカウントされる
私はこれは、不思議な数字だと思う

労働と購買は、反対方向の動きであり、足せばゼロになる筈の、労働の金と、消費の金が、両方向でカウントされるからだ
何を言っているか、分かるだろうか?
例えば私の生活は、GDPにカウントされていない
耕すのと食べるのが一致し、作るのと使うのが一致し、その間に金は移動しないので、カウントされない
そうするとGDPを増やす為には、人から周辺空間を剥ぎ取れば良い事になる
沢山剥ぎ取れば、沢山の労働と沢山の消費が生まれて、沢山のGDPが残る
都会人は、私から見れば丸裸、丸腰に見える
平らな水面を叩いて波を起こし、その山と谷の数をカウントして何の意味があるのだろう
ならせば、元々ゼロなのに
これが経済だろうか?
これが増える事が、経済成長だろうか?