ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

三ヶ瀬古道、城ヶ尾峠から地蔵平、失敗

前回の山歩き、菰釣山で、夜トイレが無くなった
それが嬉しかったので、また落ち込んだ体の回復が実感できたので、いそいそと山歩き再度

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今度は城ヶ尾峠から地蔵平を狙った
道志川支流の三ヶ瀬川を遡り、城ヶ尾峠、信玄平、地蔵平、丹沢の中川温泉か世附、現丹沢湖を抜け、小田原へ出る、山深い道だった
これは三ヶ瀬古道と言われ、由緒ある道だが、今は完全に消えている

 信玄平は甲斐武田が進駐した名残りだし、地蔵平には家来の雁丸氏が武田滅亡の後隠れ棲んだ

この雁丸氏は武田の祐筆で、「年代古事記」と言う古文書を持っていたと言う
これが武田氏研究の貴重文書「明法寺記」と同じだったから驚きだ
また遡る祖先は豊後出身で、足利尊氏の花押のある軍勢督促状も持っていたと言う
時代が下り、炭焼で生計を立てるが、今は誰も居ない、地蔵様だけが残っている
戦後暫くまで、道志の村人は、この山道を越え小田原の塩を担ぎ、野菜や肉を漬けて、厳しい冬を耐えた
 
さて地図では城ヶ尾峠から破線の道が出ているが、早速行き詰まった、急に谷が口を空けている
再度地図を見れば、そこを行かなくても、これは城ヶ尾山からの尾根に繋がっているから、諦めて城ヶ尾山から回った
これが正解だった、間もなく信玄平に着いた
狭いが少し登り返しているので、「平」と分かった
こんな所まで武田軍が来たのか、と思わずにいられない
 
問題はここで道が分岐し、一つは左に下る尾根が見える
赤川、戸川、水晶川を渡り、畦ガ丸手前の滝川峠上に至るらしい
問題は、右に巻き道が有り地蔵平に至る尾根に乗っかるらしいのだが、これが分からなかった
そんな事は、後で分かったことで、実は左の尾根を地蔵平への尾根と信じて、下りに下った
遂に沢に出た、赤沢だ、狭い!
しかし、こんな狭い所が地蔵「平」である筈は無い、その上流に来てしまった、と気が付いた
この沢を下れば地蔵平に行くとは思ったが、歩ける川では無かったし、帰りの時間も足りないし、諦めて帰った
 
信玄平に戻り、右に巻く道はと探したが、私には分からなかった
帰ってネットを調べたが、皆々一本道だとか、分かりやすい道だとか、手掛かりは無かった
 
城ヶ尾山に戻る手前で、来るときには気が付かなかった標識が在るのに驚いた
殆ど朽ちていたが、「信玄平、地蔵平」と読めた
これが城ヶ尾峠への巻道だと直感し、これを辿った
当然山腹のトラバース道なのだが、何本もの倒木に塞がれるし、崖崩れで道そのものが谷に消えていた
諦めて尾根に向かい直登したが、急な上、土が柔らかく崩れに崩れ蟻地獄のようだし、登っても登っても尾根は丸まって遠のくし、泣きそうになった
丹沢は土が柔らかい、これが山である事が不思議だ
ネットでは皆さん、難なくこのトラバース道を通過しているが、これも不思議だ・・・

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写真はその道にあった、大木の根だ
地面の中でも、木は競争しているのだな、と
また行こう!