ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

イギリス人と、欲と、ロスチャイルドと、太平洋戦争と

[イギリス]
ふとしたことから、急にイギリスへ行きたくなった
母が去年三か月入院して筋肉が失われ、今年四か月入院して脳が失われた
米寿の予定は吹っ飛んだ、やってもお通夜のような会食になる
その時訳もなく、自分は何で日本にいるんだろ、と思った
胸が焼けるように、イギリスに行きたくなった

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そんな折、人に言われた「どこがいいんだ、イギリスの」と
その時は景色や風景のことを言ったが、翌日から考え出した、不思議だなと
ぼんやり浮かんだのは、欲を認める文化ではないか、と
自分に欲があるように人にも欲がある、そのせめぎあいの中間を妥協というのでは、と
これがイギリスの経験論であり、保守主義ではないか、と
この欲、人間の本性なのだが、これを真ん中に、優先し、直視する人は意外と少ない
殆どは、正義と思って行動しているが、客観的に見れば、成り行き、感情、好悪、自我の事が多い
よくよく見ればそれらは自分の欲で、他人の欲が視界にも計算にも入っていない
欲ではないのか、イギリス人と他を分けるのは?、と
欲を閉ざされると人は、やはり駄目かと諦める
正義を閉ざされると人は、憎しみに狂う
欲を客観視できる人とできない人の、道と運命はここで分かれる
これがイギリス人では、とぼんやり浮かんだ

 

例えばドイツ

かの国に行って最初に感じるのは、ルールルール、理屈理屈で、たちまち嫌になる
しかしこれがあるから真面目だし、努力家だし、何をやっても良い仕事をする
かの工作機械、高級車ベンツ、百年千年物のオートーバーン、やる事なす事クレバーなのだ
イギリス人はこんなイメージ、ひとかけらも無い
イタリア人はもっと、かけらが無い
だからドイツ人は言った、あれは同盟国ではなく、中立国にしておけばよかったと
 
ちなみに真面目では日本人も、引けを取らない、努力もする
ただその理由は、人の目と世間の空気、これから来る
だから卑屈に見られて損をする所はドイツと大きく違うが、一方これがあって、恥と誉れの美学を作リ上げた
さらにそれに近い、清い、という概念でアクシオジーを構築し、最高の価値とした
切腹の美学はこれから来る
勿論イギリス人は、切腹からは遥かに遠い、価値観や美学では動かない
 
イギリスの欲、思いつくままに拾っていきたい
正確に言えば、自分の欲と相手の欲との谷間が、イギリス人にはどう見えたか、と
例えばイギリスは幕末に、薩摩と組んだ
当たり前だと思うだろうが、生麦事件で殺されたのはイギリス人だ、おかしくないか?
怒ったイギリスと、薩英戦争が起きた
この時薩摩は、老若男女一丸となり、必死となって、イギリス艦隊に応戦した
イギリスはこの時この瞬間、薩摩が好きになった、その欲の強さに自分を見た
幕府と薩摩、勝つのはどちらか、この時知った
 
同時期にフランスは、幕府に着いた
この時の幕府は既に、負債だ、計画倒産を決め込んでいる
フランスはアフリカでも、同じことをやっている
アフリカはマラリアと熱病の巣、負債のかたまりだ、植民地を増やせば増やすほど負債が増える
現にアルジェリアでは、高い代償を払っている
ところがイギリスはその負債からも利益を出した、奴隷貿易だった
人道よりも、感情よりも、正義よりも、欲を中心に据えるのだ
 
イギリスを考えるとき、インドは切り離せない
インドは金の成る木、東インド会社は大儲けした
当時のインドは、形はムガール帝国だったが有名無実、藩国が跋扈していた
その藩国で商いをさせて貰うべく、最初はもみ手すり手で接近している
その藩国たるや、いずれも幕末日本の各藩同様、借金で首が回らなくなっていた
東インド会社はこれらに金を貸す、当然払えない、代わりに徴税権、という方法でインドの蚕食は進んだ
この状況に、遂に怒った大藩と東インド会社が、一戦を交えるに至った
すかさず東インド会社に取って代わったイギリスは慌てず騒がず、一番家老(失礼、藩国の名も家老の名も忘れたが、調べればすぐ分かる)、これが欲の深い人だと探りを入れ、これに裏切りを画策した、勿論、藩国の王を約束して
一番家老は、約束通り戦線の最前列で裏切り、藩国軍は自壊した
これを見たインド藩国は揃って靡き、インドは英連邦となった
後日、裏切った家老は王にはなったが、徴税権どころか、そもそもインドはイギリスになってしまっていた
自分と相手の欲の大小で、欲と欲との妥協ラインは、手前にも向こう側にも大きく滑る
この時のラインは、限りなくイギリスに広く、インド人の皮一枚まで接近した
 
同じことは、同じ封建時代を生きていた、清朝でも起きた
ただインドとは事情が異なり、イギリスの輸入超過で損失が出た
そこで売り込んだのが、アヘンだ
怒った清朝と戦争になり、あっさり勝って、香港を取った
私は思う、善悪や正邪を、こねて唱えて、何になるかと
 
一つ、付記することがある
イギリスは憎まれていない、と言うこと
お金を貸してほしいと仰るから、お貸ししましたので・・・
戦さをすると仰るからその積りでおりましたのに、自分でコケられまして・・・、という構図になっていると言うことだ
清朝でもそうだ、今と違い麻薬そのものは悪ではなかった
あなた様が戦さをしたいと仰るので付き合いましたが、お負けになりましたから香港と九龍は戴きました、という構図になっていると言うことだ
そして今でもインドや香港は、イギリスを慕っている
これがイギリスの経験論、保守主義であり、美しく、見事で、ため息なしには語れない
私は何を言いたいのか?
日本もドイツも、突っ走るのだ
朝鮮でも満州でも、横っ面を張り倒して土足で踏み込んだ、という形になっている
詳しく見れば依頼を受けて出兵しているのだが、全然目立たない
満州鉄道を敷設し、朝鮮にも自国同等のインフラを投下したこと、誰も言わない
真面目人間と正直者は、損だ、本当に損だ
欲と欲の境界線を少しづつずらせていったイギリスと、正義信念と思い込んだ日本ドイツの差がここにある
正義信念などどこにもない、あるのは自分の欲と相手の欲、これだけが実存する
 
さてインドも清朝も封建時代だからまだ良かった、地球には石器時代の人たちも居た
これらの人々は、欲と言うものがない、その日その日の食べ物があればいい
そして起きたのは皆殺しだった、アメリカのインディアン、オーストラリアのアボリジニ
そこではまっさらになって、移民が送られた
 
逆の、反対の例、相手の欲のほうが大きい場合もあるので注記したい、ドイツだ
これはイギリスが死に物狂いで戦ってようやく、引き分けになるかどうかの相手だ
第二次大戦を思うとき、私はかの国のサッカーを思わずにいられない
ドイツのサッカーはご存じだろうか?、一言でいえば理詰めのサッカーだ
基本に忠実、正確無比、こう出ればこう来る、ああ出ればああ来る、まるで緻密な緻密な設計図のように隙が無い
設計図だから読める、ところがそれに技とスピードが加わり、誰も追いつけない
一方のイギリス、かなわぬ時は防戦に防戦、耐えて忍んで我慢する
必死にチャンスをうかがい、万に一つの隙あれば超ド級のキックかロングパス
それが狼煙か合図か、全員一丸火の玉となって襲いかかる、これがジョンブルだ
キャプテンドレイク、チャーチル、皆同じだった
ドイツは早く素早く精密精巧に、瞬時に大陸を席巻した
ロンドンも毎晩空襲を受け、イギリスは息を殺し耐えた
さて理詰め、真面目、迅速、正確無比だが、これは永遠に続くとお思いだろうか?
東部戦線の失敗、これが狼煙となって、チャーチルは一気呵成にダンケルクに襲いかかった
サッカーと全く同じ、瓜二つの現象が再現されて、第二次大戦は終わった
欲とは直接関係ないと思うだろうが、ドイツとイギリス、二つの歯車、二つの欲は、元々異なる種類のものなのだと思う
どこかで必ず噛み外し、歯は欠ける
 
蛇足だが、ヨーロッパの国々について
(近日中に書きます・・・、追加しました)
ヨーロッパには国が三つしかない、と言えばびっくりするだろう
同じことをヨーロッパで言えば、それがどうした、と言う顔をされる
答えはラテン、チュートン、スラブだ
 
身体的特徴についていえば
ラテンはイタリア、フランス、スペインなどで、背はそんなに高くなく、浅黒く、髪も目も黒い
チュートンはドイツ、オランダ、イギリス、北欧などで、背が高く、色白、金髪碧眼、北欧人は金髪を通り越し銀髪が多い
スラブはロシア、東欧、そして意外にバルカン半島だ、身体的特徴は上二つの中間ぐらいだろうか
 
言語も身体とほぼ、完全一致する
例えば、シャンソン、カンソン、カンツォーネは皆、ただ単に歌という意味だ、つまり方言なのだ
私は思うが、琉球語津軽弁のほうがよほど遠いと思う
ラテン人は多分、ゆっくり喋れば通じる
ドイツ語、オランダ語、英語も同じだ
ich sprechen, ik spreek, i speakと、間にオランダ語を入れれば、直感的に分かる
現に、オランダ人とドイツ人は通じる
スラブ語も同じ
ロシア語とウクライナ語の塊の周辺に、白ロシア語、ポーランド語、チェコ語スロバキア語があり、そして意外にアルバニア語、ブルガリア語などのバルカン諸語がある
バルカン語はどうも古いらしい、我々が平安時代の古典を読むような感じか
 
問題は、文化だ
ラテン>チュートン>スラブ、の方程式が存在する
ヨーロッパはローマ帝国が作った、何から何まで教えた、料理から神様までも教えた
ヨーロッパの田舎に行けば、うちの町はあそこの町より先にシーザーが来たからうちが上だ、という話を聞かされる
どちらが先に征服されたか自慢するなんて、変な感じ、と思ったものだ
だからローマに近いほど偉く、遠いほど目下になる
イタリア、フランス、スペインが皆ラテン語の変形なのは、ローマが直接統治したからだ
さてこの文化が、じわりじわりと北に浸透していけばどうなるか?
ラテン国境に近接するチュートン人が、最初にラテン化していくのだ
ラテン人がラテン化しても問題は起きないが、チュートン人がラテン化すると、問題とは言わないが変な現象が起きる
ローザンヌジュネーブに行くと、体つき顔つきは明らかにドイツ人なのに、フランスの帽子をかぶりフランスの服を着てフランス語を喋る
つまりラテン付近のチュートン人は、顔と体はチュートンなのに心はラテンになる
つまり身も心もラテンの人と、身はチュートンで心はラテンの人と、身も心もチュートンの人に分裂するのだ
中間の人たちは両側の人たちと微妙に、合わなくなる
西から数えれば、オランダ、ベルギー、アルサスロレーヌ、スイス、オーストリアが存在するのは、これが理由だ
同じ現象は、チュートンとスラブでも発生する
その境界に存在するのは、ポーランドチェコスロバキアであり
ラテンとスラブの境界に存在するのが、アルバニアブルガリアなどのバルカン諸国だ
そしてこれらの国に浸透していったのが、ギリシャ正教であり、これがスラブの骨格を形成した
(言うまでもないが、ハンガリーフィンランドバスクなどなどはウラルアルタイ語族であり、別の話)
 
大事なことを思い出しました
私はこのブログ中、イタリアやフランスやスペインの事を馬鹿にしていますが、成り行きであり、本意ではありません
それどころか、私はラテンが大好きです
彼らは、文明を知っているのです、文明を卒業した人たちなのです
人は生まれて、好奇心に満ちた幼年時代、世に出て志を追求する青春時代、そして年を取って静かに思い返し思い出すとき、何を思いどう思うでしょうか?
楽しかったなぁ・・・、面白かったなぁ・・・
嬉しくて近所の子供に涙を流し、頑張る青年に心の中でエールを送っているはずです
これがラテン人なのです
アメリカや中国、何と元気で若々しく、何と愚かで、何と嬉しいのでしょうか
老人は目を細めて喜んでいます
地中海と空とワインがあれば、他に何が必要でしょうか?
日本が目指すのはアメリカ中国ではなく、イタリア、ラテンでは無いでしょうか?
 
さてここからは上を受けての別の主題になる、あの不思議で不思議な太平洋戦争にも言及する
イギリスはこれら植民地と当然、交易が始る、大好きな金儲けが始まる
イギリス連邦のメンバーは何れも、活発な交易パートナーに成長しつつあった
その交易量、かつて地球上に存在した量とは桁が違い、未曽有の物だったろう
スペインポルトガルも地球上を大航海したが、この時は南アメリカを想起すれば分かるように、殺戮と略奪が終われば土着化し、交易はふくらまなかった
またこの間に起きた産業革命は同時に動力革命であり、エネルギーがまるで違っていた
指摘する人は少ないが、風まかせから蒸気機関へのエネルギー革命、これは決定的だったろうと思う
年に一度の行って帰るの命がけの大冒険から、必要に応じいつでもどこへでも行くルーチンになった
かくして事実上、地球上に初めての網羅的な単一の、交易マーケットが誕生した
大きなものができると小さなものはつぶれていく、と言う経済学の原則に従い、後発組はこれに乗っからざるを得なくなった
さてこの時の交易決済、今までとはその量桁違いなのだが、これはどうして行われたのだろう?
 
答えはロスチャイルドなのだが、いきなりでは実感が伴わないので江戸時代の大阪商人を挙げる
大阪商人は蝦夷から薩摩まで、昆布や紅花など広く手掛け、扱わないものはなかった
先ずこの時、いちいち金銀や小判で決済したとお思いだろうか?
また各藩は藩札を発行していたので、これの通貨換算、つまり外国為替と同じ現象が発生する、どうしたのだろうか?
答えは手形と為替なのだ、これで殆どの決済が済まされ、金銀は最後に少しだけ動かせば足りた筈だ
その他大豆相場、米相場の言葉が残っているように、金融商品まで現れ、空売り空買いの言葉も既に有る
私が驚くのは、この手形と為替、所詮は商んどが振り出す訳だが、そうなるとこれは通貨発行と同じことになる
つまり事実上の日銀の、通貨調整機能を行使していることになる
江戸で吉宗が、幣貨改革や米相場に苦しんでいるのが馬鹿に見える
だから維新で開国し、外国の金融や経済が入ってきても、大阪商人は何一つ驚かなかったし、皆々陳腐な事ばかりだった
だから経済の用語は今も、カタカナが少ない
 
次にロスチャイルドだが、英語としては変な名前だと思われないだろうか?
彼はもともとフランクフルトの小さな商人だったが、マイヤーの代だか成功した
具体的にはオーストリアあたりで、いわゆる宮内庁御用達になって儲け、その覚えめでたく赤い表札を掲げる身分になった
Rothschildとはドイツ語で、Rothが赤、Schildが表札の意味だ、それが名前になった
つまり赤札堂と呼ばれるようになり、それをそのまま名乗った
五人の息子は、フランクフルトのほかに、ロンドン、パリ、ナポリ、ウィーンに分家したが、現在残っているのはロンドンとパリだけだ
 
さてイギリスはその交易決済をするのに、ロンドンロスチャイルドを使った
イギリスが発展するに従い、七つの海に展開するに従い、広大な植民地と交易するに従い、ロスチャイルドは膨大な金融ノウハウを蓄積し、実質的に世界の金融の総元締めに君臨するまでに巨大になり、何ぴとも追随不可能な存在になった
イギリスは七つの海にロスチャイルドを連れて行ったが、スペインポルトガルが連れて行ったのは宣教師だった
悲しいまでにその差は開き、絶望的にまでその優劣は隔たり、無敵艦隊と共にヨーロッパの田舎に堕ちた
 
[太平洋戦争]
(近日中に書きます・・・、追加しました)
(ヨーロッパのエニグマが初めて解けた)
私はあの戦争、分からなかった、不思議でしょうがなかった、負けると分かった戦争を、何故やったのか?
評論家や学者の説は皆聞いたが、納得できる、腑に落ちるものは一つもなかった、みんな局面や部分や表面をなぞっているものばかりだった
 
そんな折聞いた、平成天皇がちらと言った言葉、「あの戦さ、油で始まり、油で終わった」、これが一番刺さった
こんなに簡潔に、根本をえぐる人は初めて見たと思った、立場がらよく見えていたのだろうか?
今の戦略物質はAIだが、当時は石油だった、これを絶たれれば死を意味した、実際日本は死んだ
では何故石油で、意地悪されたのか
日本が満州を独り占めしたからだ、満州鉄道を敷けば、誰にも渡さぬと言っているようなものだ
狙っていたアメリカのハリマン鉄道王は怒った、それ以下のアメリカ資本家も大勢怒った、だから大統領も怒った、英仏も怒った
満州は列強みんなで分け合うべきだった、日本は何故それができなかったか、何故分からなかったか
 
評論家はここでも微に入り細を穿ってほじくる、当時の恐慌や財閥や軍部やソ連がどうのこうの、と
それよりもっと大きなものがなぜ目に入らないのか、と私は思う
明治維新に、さかのぼる
明治維新は、列強が世界を食い物にしている現実を目の前に突きつきられて起きた、長崎のオランダポルトガルと落差がありすぎた
薩摩長州幕府の事は、コンマ以下の些事だ
明治政府は狂い走りした、殖産興業と富国強兵、これが世界のルールだと思った
問題は、「これだけだ、これさえ守っていれば何をしてもいい」と、勘違いしたことだった
日清日露はその通りだった、だから満州だって何が悪い、と
 
実はもう一つ、大事な、目に見えないものが、存在した
上に述べたように、満州にさわることは、アメリカにさわる事だった
そのアメリカに、もう既にロスチャイルドは移り、ポンド体制からドルポンド体制に移行していた
その世界の交易決済システムに、爆弾を投げるようなことをした、実際ハワイを爆撃した
これは何を意味するか、分かっているのか?
自分のドルと円を決済してくれるのは、誰なのか?、アメリロスチャイルドだと、分からないのか!
ロスチャイルドは自分に爆弾を投げる奴の手形を、何で決済しなければならないか!
これが、日本がアメリカに負けた、最も根本の理由だ
ドイツも同じことをした、ロンドンを空爆した、ロンドンロスチャイルドに爆弾を投下した
これでロンドンロスチャイルドが喜ぶと思ったのだろうか、ドイツは!
ドイツは物を作らせればピカイチだが、こと経済に至れば白痴だ、自分の財布を焼きに行ったようなものだ
今もココ債を発行している、これは借金棒引きの事だ、ドイツ連銀は何かを、隠している
また今は中国が同じことをしている、太平洋の岩に軍隊を送り、勝ったと思っている
この世は経済戦争だ、経済に勝てば何をしてもいいと思っている
自分の通貨元とドルを決済しているのは、誰だろう?
下品な人にも、分かるように言おうか?
キンタマ握られたまま、商売と武力で勝ったと思っているがその現実、見えないのかと
基軸通貨とは、そういう意味だ
 
この欲で始まるブログ記事に太平洋戦争を加えた理由、お分り戴いたろうか?
嘘だと思うなら、自分で世界の交易決済システム作ってみればいい、日本で盤石のシステムを作った大阪商人でさえできなかった
 
[欧米コンプレックス]
明治以来日本は、欧米コンプレックスに悩まされるようになった、夏目漱石森鴎外も悩んでいる
和魂洋才でケリをつけようとしたが、何度ケリをつけても、よみがえってきた
追いつけ追い越せで、物質文明では同じになったが、それでもコンプレックスはある
ヨーロッパとは何か、これが分からないのはまだしも、日本とは何か、これまで分からなくなってきた
日本とは何か、こんなこと江戸時代の日本人は考えたこともなかった、日本は日本、当たり前だった
西洋の文化や哲学や宗教、たくさん勉強する人が出てきた、大学ではそんな事ばかりやっている、何を隠そう私もそうだった
今は言う、こんなものどれだけ勉強しても、コンプレックスは決して消えない
なぜなら、このコンプレックスは経済からくるからだ、ロスチャイルドアングロサクソンから来るからだ
事実、上で述べたようなラテン人と付き合ってもコンプレックスは感じない、スラブ人なら返って余裕を感じる
 
最後の最後になりましたが・・・
今回は「欲」を書きました
ただ、近いうちに「無欲」を書きたいと思っています
欲を捨てた人類が居るのです、上にも述べたインド人です
たぶん・・・、これが書けたら、私のブログは終わりになります
欲は生の真実ですが、無欲は死の真実だからです