ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

上品

春早く営農に行ったのは、前のブログに書いた
営農の、作業、仕組み、生産性、今の農業、これらの認識が根底からくつがえされ、得難い体験をさせてもらった

さてこの時実は、もう一つ私にとって事件があった
その内容、ようやく形になって来た
ハイ、上品な人に、会ったのです
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写真はS氏宅に今も残る、灰小屋です


[S氏]
今日は営農、朝早く行ったら既に数十人の人が集まっていた
その中に一人、まったく異るオーラに包まれた人が居た
物静かで控えめで落着きがあり、所作とまなざしが優雅だった
驚いて作業表を見れば、S氏の名があった
私は故郷を離れて五十年、何も知らないが、S氏は特別な名だとぼんやり知っていた


その翌日何と、作業表にS氏と同じ欄に私の名があった
驚き心を決めて、名乗って挨拶を申し上げた
やはりS氏だった
それどころかS氏は子供の頃、私の家に一年間通ったと言う
私が小学一年の時、校舎建て替えがあり、各クラスは分散し、近隣の家を借りて教室とした
私の家は三年生のクラスに当てられ、一年生の私は別の家へ通った
知らなかった・・・


その日一日、同じ班の人が物知りで、私が何も知らないと察したのだろう、色々教えてくれた
S氏は地主様で、自分はその小作人だった事
母様は女学校を出、自宅で私塾を講じ、公の小学校が立ち上がる迄、近隣の子を教えた事、等々
何も知らなかった・・・
そして言う、あのうちの人は何か違う、
何か分からないが、何か違う、と
私も同じだ、あの人は何か違う
その思い、日一日と強まって来た


[O君]
実は私、S氏とよく似た人を知っている
中学で1年間クラスが一緒だった、O君だ
他の友達は段々影が薄くなっていくのに、彼は逆に大きくなって来る
顔も体も目も、キリッと締まっていたのが第一印象
次に考え方が、自分や他の友達と一線を画していて、動じないものがあった
時あたかも高度経済成長の黎明期で、世は騒然とし始め、学校も学歴社会が子供たちにかぶさり始めた
所が彼は、学校の成績など七合目か八合目に着けておけば良い、地道を挙げて目指すものでも狙うものでもない、という雰囲気を持ち、意に介していなかった
ある時帰りが一緒になり、うちは地主だったんだ、と言った
私が彼を不思議に思い、何かをたずねた答えだったと思う
私はその時、「この人には底辺がある」と思った
普通の貧乏人は、鍋底が今日割れるか、明日割れるか・・・、そんな時代を引きずっていた


[経営者の目]
両氏の共通点の一つに、経営者の感覚に似たものがある
社長に会ったり、話した事はあるだろうか?
目は鋭いが穏やかだ、その目の奥で何を考えているのかさっぱり見えず、不気味で重厚な存在感がある


さて、私はただのサラリーマンだった
子供は小銭を握り、縁日に行き、飴を買おうか、金魚すくいにしようか、頭がいっぱいだ
この子供がそのまま大きくなったのが、サラリーマンだ
違いは、飴が自家用車になり、金魚すくいが持家に代わっただけだ


経営者の頭はまるで違う、以下に示したい
定年後私は田舎に行き、畑を耕した
麦を植えて、その小麦粉でスパゲッティを作り、イタ飯レストランをやろうと思った
勿論失敗した、しょっぱなの小麦で
いきなりやってまともな小麦など、育つ筈がなかった
次にあの小麦、デューラムセモリナ品種といい、暖かく湿った日本では育たないと知った
あきらめて、買う事にした


次に料理だが、アーリオオーリオペペロンチーノひとつなら私にもできる
でも、ミートソースとカルボナーラマルゲリータピザを同時に注文されたら、10分以内にはできないと、気が付いた
(笑ってほしい、バカ丸出しだ、と)
で計画縮小し、自家焙煎珈琲のカフェをと思った
好きなアップルパイとミートパイを付けよう、これなら作り置きができる、と


さて開こうと思ったら、飲食店には規制があり、店内は保健所の規格を通す工事が必要な事と、衛生管理責任者資格、講習なのだが、これが必要と知った
逆に調理師免許は関係ない、と知って驚いた
この講習に行こうとしたその時に、母が四回も入院しアルツハイマーになり、すべてパーになった
それでも出来る仕事、今は金融投資をしている


さてアホの私は、この失敗の連続、この失敗の御蔭でセーチョーした
町を歩きカフェがあると、昔はケチを付けたり馬鹿にしたものだが、今はガラリと変わり、大したもんだ、良くやってるなぁ、こうすればもっといいのに、などと経営者目線に変わった
顔付が変化した、目が座った、その奥の頭は経営戦略で高速回転している
エネルギーは、目に一割、頭が九割だろうか
そうなのだ、ヌエのような社長の風貌はこれなのだ、と気が付いた


地主とは、土地資本経営者だ
そのノウハウと方法と小作人対応と苦労は、お爺ちゃんやお父さんの会話のシャワーを浴びて、孫と子供は学んで育つ
問題は、というか普通の会社経営との大きな違いは、会社は一代で起き一代で破産するが、土地という極度に安定的な資本は一度形成されると、千年は安定する、という事だ
これが貴族の根本理由だろう
成金一代、貴族は三代だ


S氏とO君の、温厚、優雅、底辺、存在感が、少し分かってきた


[A子さん]
地主様は、秘めて醒めた経営者目線の他にもうひとつ、上品だ
その立ち姿、座り姿、目線、存在だけで気品が漂う
動作はゆったりだが、緩急があり間があり、優雅だ
言葉は控えめで、奥ゆかしい
美しいのだ、何から何まで
なんぴとも自ずと、こうべを垂れる


若かった私が勤めた職場に、そんな人が居た、A子さんという
不思議に思っていたら、教授の娘だと教えてくれた人が居た
そうかと思ったが、やはりおかしい、教授の娘なら全部そうか、と
ある時仕事が終わり、ぞろぞろと退出した
その時門の向こうに、青年が立っているのに気が付いた
その立ち姿、その上品さに驚いた
(これは異常だ、立っているだけで上品と分かるなんて)
背筋が通り、顎が引かれ、目線は落ち着いていた


その人が静かに、A子さん、と声をかけた
A子さんは振り向き、あらT夫さん、とかけ寄った
私は二人の関係が分からず、同僚に聞いたら、お兄さんよぉ、と言われた
お分かりだろうか、この家では家の中で、さん付けで会話しているという事だ
私は呆れた、あのうちは天皇家か、と
(後日、これがまぐれ当たりになった)


もう一つエピソードがある
仕事で問題が起き、対応策をひねっていた時だった
ある案があったが、私が「それやると損する」と言った時だった
損してもいいじゃない!、と鋭く切られた
その覚悟、その度胸、四十年後の今も、その言葉の耳鳴りが聞こえる


その後A子さんは、諏訪近くの神社のご息女だとは知ったが、私は別の職場に移った
後日私は出雲神話を調べたが、その立役者の一人、書記の応神天皇は神話のタケミナカタだと結論している
タケミナカタは諏訪に逃げ込んだが、一人で来たのではない、一族郎党あまたの家来を引き連れたはずだ
逃げたらそこで、守りを固める必要がある
信頼おける武将を、配置する
最高の信頼は、血筋に帰結する
その武将の砦が後日、神社になった
その武将のその砦のその神社の、ご息女だった


さて神功皇后の、仲哀天皇との子が応神天皇で、仲哀天皇の死後、武内宿禰命との子が神武天皇
鼻の差だが、神武天皇より応神天皇の方が古い
その血筋の武将も、神武天皇より古い
つまりA子さんの血筋は、神武天皇より古くなる
驚いたろうか、A子さんは天皇家より古い
私は腰を抜かすほど驚いた、天皇家より古い家が日本にあるなんて、思いもしなかった
A子さんの気品と品格、ようやく分かった


どういう事か説明が必要だ
神社ともう一つ、お寺さんも大変上品な人たちで、共通点がある
寄付、寄進、喜捨、布施という方法で、何百年、何千年の歳月をきざんだ人たちだ
私は気品の本質は、ここではないか、貰い続けた感謝では、と思っている
そして地主も、経営といい小作料というが、土地の場合、その収入は寄付に近い
これが千年、続いたのだ
地主様の気品と品格の説明は、これが大きな要素では、と思う


[熊野一族]
同じく古いが、経済的に自立したパターンがある
鎌倉から横浜へまたがる一帯、低い山々が連なる一帯、その中程の山の中腹に熊野神社があって、これを核に熊野一族が結束している


私は山が好きで、ある年の大晦日の夜に山に入り、一晩歩いた
明け方頃か熊野神社に近づいたらしく、焚き火が見えた、正月元旦になっていた
藪の中からガサガサと出たので、誰だお前は!、という格好になった
私はこの時既に熊野一族は知っていたので、とっさに言った
自分は加賀白山神社のともがら、氏子でございます、皆様、新年おめでとうございます、と半分ホント、半分ウソの挨拶をした
(こんな自己紹介をしたのは、前にも後にもこれっきりだった)
そしたらこれが通った、茶碗酒を出された
(熊野と白山、互いに互いを認める、日本の雄なのだと感謝した)


その時聞いた話だ
この一族、神社ともう一つ、伝承を共有している
平安時代の終わり頃、熊野から船でやって来た、と
夢の新天地、桃源郷にたどり着いたこの一族に、危機と不幸が襲った
頼朝が来たのだ
いや頼朝は兵を持たず悪さをする力もなかったが、北条と三浦が来たと言う意味だ
両側から石臼で轢かれる苦難、生き地獄が始まった
あの時はうちの誰それが人柱になった、またある時は・・・
今生きているのが、不思議なくらいだ
やっとやっと、生きているのだ
と言って、ここがわしらの土地だと手を回す
その手の先を見れば、山山山、山山山
けむりにかすむそのまた先に、山山山・・・
私は気が遠くなった
(その北条も三浦も、今は無い)


また別のある時、ある当主
金比羅様へ行って来た、お礼参りに行って来た、と言う、(勿論四国だ)
聞けばその昔、ご先祖様が博打をなさり、負けて、山二十町歩を失った、と
さすがに事の重大さに驚き慌て、金比羅様を拝んだら、二十町歩の山が一晩で戻った、と
で、八百年たったので、お礼参りに行って来た、と


行ったら古文書を見せられ、御先祖様は銀、何十貫文だか寄進なされておりますな、と
その瞬間、当主の頭に電撃が走った
3万か5万、置いて帰るつもりが狂った
ひるむまいと体制を立て直し、30万か50万の線はないかと、瞬間思ったが、諦めた、と
結局300万置いてきた、と怒っていた
あんなとこ二度と行くもんか、今度行くのは次の八百年先だ、と言って怒っていた
私はこの時も気が遠くなった


ちなみに、拝んだ、の意味だが、上の話から明白だ
神社は土地の係争問題も手掛けていたのだ、と分かる
放って置けば、戦になる


さてこの一族の様子、特徴だが、地主とも神社とも違う
地主小作がなく、上下もないようだ
且つ今は、マンションやアパート経営、建築業や幼稚園やその他の事業をやっているから、金は貰うのではなく自分で稼いでいる
だから上品さは感じない
勿論事業主だから、経営者社長の迫力は感じる
そして歴史の裏付けか、物に動じない
いつかお寺の話を聞こうとして、軽くいなされた
檀家などくだらぬ、あんな物、明治にキリスト教が入ってきたもんで、寺が慌てて囲ったんだと、にべもなかった


[農地と農地改革と会社]
今地主はいない、農地改革があったから
恨んで当然だ、全財産を奪われるに等しい
ただ私は、農地改革が無くてもこうなった、と思う


学校で教わった、進駐軍が来て農地改革を断行した、と
じきに私はおかしいと思った、世の中、命令や法律ひとつで、こんな天地逆転の大変化が起きるものか、と
調べた
先ず進駐軍は日本を民主化しようとした
(これは表向きで本当は、日本の腰骨を砕き、背骨を折り、二度と立ち上がれなくし、二度とアメリカに歯向かえなくしようとした)
その為に、財閥解体と農地改革をやった
さてその中身だが、地主は小作に土地を売りなさい、というものだった、適正価格で
お分かりか、買えるくらいなら誰が小作などやるか、貧乏で買えないから小作なのだ
事実土地は動かなかった


所が直後に300倍の大インフレが起きて、土地がただ同然になり、これで土地が一挙にうごいた
小作人は皆、キャッシュで一括で払った
(ちなみに最近の家は5000万くらいか、これが300分の1なら17万になる、誰でも買う、買える、当たり前だ)


さて小作人は、喜び励んだろう
ただそれは、つかの間だった
戦後雨後の筍のように、会社が湧き起こった
生産性は会社の方が高い、圧倒的に高い
そうすると給料も高くなる
相対的に、農業の生産性は落ちる
農業で食べて行けなくなり、人は会社と都会へ流れる
この構図は、地主でも自作農でも同じだ
つまり農地改革が有っても無くても、会社が現れたら、会社が生産の「基幹」に座ったら、同じ事になっていたと思う
私の観察では、会社は明治以来生まれ存在したが「基幹」ではなかった
「基幹」になったのは、第二次世界大戦後だと思う


それともう一つ、土地の生産性は単利でしか増えないが、会社は複利で増えられる、と
例えば、会社はその儲けを元本に積んで、これを次の投資に回せる、これを毎年繰り返せば、これは複利計算になる
一方土地で金を儲けても、その金は使うしかなく、土地に足し込み増やす事ができない
(勿論土地を買い足せばそうなるし、信長のように幾何級数的に侵略すればそうなるが、今は有限を前提にしている)
つまり土地は単利でしか増えられない構造を持っている
土地は会社に必ず負ける、仕掛けになっている