ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

幼稚園児の母、認知症と介護

母が認知症になった
その対応が、自分なりに気が付き、突き抜けた
それが嬉しくて、人にも参考になるので述べたい


先ずきっかけは2年間に4回の入院だった
年寄りは閉じ込めると、たちまちボケる
私は当たり前だろうと思うのだが、近代医学はこれをやる
これはこれで大問題だが、今はパスする


細かいがもう一つ
認知症という言い方だが、分からない
母を見ていると、認識は問題ない
軋轢は、論理や理屈や判断が狂う事から来ていると思う
耄碌(もうろく)の方が、余程症状を表現している
以下はそれで通す


さて耄碌だが、それはどんな物か?
まともに突入すると、けんか、怒鳴り合い、憎しみ、暴力、家庭崩壊は必定と言っていい
以下は母の事例だが、どこでも似たようなものだろうと思い、挙げてみる


掃除が分からず、家が汚くなる
埃だらけ、蜘蛛の巣、物は散らばり足の踏み場が無くなり、異臭を放つ、勿論腐敗臭と小便臭だ
トイレは正に、糞尿そのもの
家だけで無い、蔵も納屋も車庫もごみだらけ
味噌蔵の桶は8個、何年も放置、表面の黴は厚さ20センチ
風呂にも入らなくなる


もっと激しいのは、台所だ
冷蔵庫は腐ったもの、放置されたもの、忘れたもので溢れ、異臭を放つ
電子レンジは蓋を開けると同時に、悪臭が吹き出す
こぼれた汁が垂れ、食品がこびり付いている
台所の引き出しからは、死んだネズミが2匹出てきた
破った塩袋が4つ、破らない塩袋が3つ
砂糖袋も7つ、半分は袋の口が切ってあった
これが台所各所、各引出しから出てくる
買った事を忘れ、しまった場所を忘れ、次々と買う
忘れた包丁も分厚いサビがたかり、9本出てきた
貰った昆布や茶筒、賞味期限は5年前だ
同じく新聞や銀行から貰った台所洗剤が、引出し各所から現れ、総計20本、これが倒れてこぼれ、引出しの半分は底がベトベト
勿論食器や鍋は洗わず、ネチャネチャする
数ある鍋は皆、まっ黒焦げ
IHにしておいて良かった
ガスならもう、家はなかったろう


(後で述べるが、これは勿論異常だが、これが異常だと思わない判断や思考とは何か、これを解明し対応するのが本稿だ)


上は家だが、身なり服装行動もすごい
腰が曲がり、ズボンが下がり、尻を出す、肛門まで見えている
これを注意すると逆ギレし、年取れば当り前だと怒る
病院の待合室も、この姿で闊歩する
他の客や看護婦が驚き駆け寄るが、当人は嬉しそうにニコニコしている
ある時行方不明になり、ヘルパーやご近所と一緒にほうぼう探した事があった
2キロ半離れたスーパーで、楽しそうに買物していた所を発見された
乳母車で歩いて行ったのだ
(普通人はこんな事はしない、これをして問題ないと思う判断、思考は何か、これが分かった)


ここ迄のゴミ屋敷なら、さぞや近所でも問題が起きるだろうと思うだろうが、これが起きない
母は庭の草はきれいにむしり、一本の雑草も見逃さない
ここら辺のバランス、アンバランスは、人によると思う
だから評判はいい、時候の挨拶も何ら問題ない、表からは人からは見えないのだ


所が家庭内では初っ端から、5分ごとに、衝突し、怒鳴り合いになり、喧嘩になる
トイレに行けば必ず漏らす、毎日拭かなきゃならない
言えば、自分は漏らしてないと言い張る、自分はちゃんと股を拭いていると、嘘をつく
瞬時に、喧嘩になる


風呂に入ったら水風呂だった
母が電源を切ったのだ
何故と問えば、電気が勿体ないと
これも瞬時に、喧嘩になる
昔の人は電気を切り、コンセントを外すのを躾けられている
耄碌するとこの記憶が復活し、昔に戻るのだ


言うまでも無いが、ほぼ記憶喪失状態で、5分前を覚えていない
いや、話しながら、忘れていく
会話が成立しない、論理が成立たない、自分は、こうだ、こうだ、こうだ、の繰り返し
話をする意味が無い
1日3度、同じ事を聞く


さてこんなもの、対応のしようがあろうかと思うだろうが、私はやった
先ず掃除した、延々1年半かかった
家や台所が汚くなりにくい、工夫もした
具体的には、高い所にしまったり、鍵のかかる所に置いた
施設と契約し、デイサービスで週2回の風呂と食事、これは助かった
家で風呂に入れば、子供が入ったように散らかり、家が水浸しになる
次に弁当の宅配、勿論助かる
さらに通いのヘルパー、これはオムツ交換や介助だ
これでようやく家が、臭くなくなった


以上は物理的身体的な対応で、当人にどれだけ言っても叱っても怒鳴っても、或いは体罰を与えても直らないと思う
諦めて、代行するしかない
何も言わず、トイレを毎日雑巾がけだ
問題は、言葉、考え、思考から来る対立、喧嘩、憎しみだ
私はこれが、分からなかった
と言うか、解決の対象だなどと、思う筈もなく、困り果てていた
母を怒鳴っていると、その自分が嫌になる


私は、ぐちるようになった
その中には、介護経験者もいた
精神病院の、看護師だった人もいた
更に、神様のような人もいた


その看護師と神様の、何と、言葉は共通していた
褒める、おだてる、なだめる、とのお告げだった
怒鳴る、憎む、喧嘩する、とは正反対の言葉だった
どういう事か?
耄碌の特性、忘れるという事を利用するのだ
その場はおだてて褒める、そして数分後或いは翌日、問題は解決している、忘れるからだ


さて、正解に近づいた
ただ私は、これができなかった
軽蔑する人間、嘘をつき、言訳する人間を褒めることは、至難の業、不可能な技、できる事ではなかった
そんなある時、ある事が起きた
それで全部、分かった
それを知って戴きたくて、書いている


ある夜早く寝た
母が来た、暗い部屋に入り、居るんだろ、返事しないな、よ〜し、と言って、ベッドの裾を叩きだした
足に当たり、やっぱり居た、と言った
勝手に部屋に入る事を、下品と思っていない
ベッドを叩くのを、卑しいと思っていない
自分は正しい、何一つ間違ってないと思ってる
私は、これが母かと、身の毛がよだつ思いだった
さて次の瞬間だ
その母が笑った、喜んだ、そして出ていった
その瞬間、憎しみ、おぞましさが失せた
代わりに幼稚園児だ、と思った
子供は、小さい時、パパ、パパとまとわりつき、居ないとパニックになり探す
そして二階に見つけると、わぁー居た、と喜び、まとわりつく
それと、同じだった・・・
幼稚園の知能だと思えば、すべて分かる
また、許せる、と
そして、憎しみが消えた
俄然余裕が生まれ、
冗談と笑顔で対応でき、
優しさで導ける


介護に悩む人に、参考になれば
これを言いたかった