ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

人は何で動く?

プーチンウクライナ侵攻、評論家は一人残らず外した
皆、プーチンさん、どうしたの?、と思っている

実はこのやり方、武力制圧と武力崇拝は、昔は正しかった
生きるのと農業が同義語だった封建時代、土地を奪い守るのは武力しか無かった
戦国時代はこれが、ピュアに発現した

しかし今は、生産の主力は土地を離れ、工場と産業と金融にシフトし、人は札束で動いても、武力では動かない
自分と国を守ろうと思ったら、経済で身を立て、札束の礎の上に国を建てるしかない

そんな事、子供でも知っている
これを知らないのは金正恩だけかと思っていたら、まさかプーチンまでも、と驚いた
鄧小平は、とっくに気が付き爆進した

ただ、昔の土地と武力の時代と、今の札束の時代は、勿論くっきりした境がある訳ではない
濃淡がありグラデーションンがある
その途中では、経済と世の中が潜行して先行し、人は後から気が付き、そこに悲劇や喜劇が発生する

例えば習近平は、経済さえ成れば何をしてもいいと思い込んでいる
世は経済を謳歌しているが、彼の頭は封建武力の健康優良児だ

日本もそうだった
明治以降、殖産興業と富国強兵、これさえ守れば何をしてもいいと思った
日清日露はその通り
だから満州のどこが悪い、と思っていた
世が武力から札束に変わっているのに気が付いたのは、敗戦が契機だったろう

ヨーロッパも中世封建時代は、30年戦争だの薔薇戦争だの、健康健全なスポーツ精神に明け暮れ、土地と武力と人の頭は三位一体、精神分裂にはならなかった
それがルネサンス産業革命前後から金の世になったが、気が付かぬ
18世紀には、アフリカ殖民地や奴隷狩り、南北アメリカの原住民皆殺し、好き勝手、やりたい放題の、武力制圧と武力信仰だった
それが変わったのは第一次世界大戦だったろうと思う
この戦争は悲惨且つ徴兵の為、町が片手片足顔半分のゾンビに溢れた
これでヨーロッパは学んだ
武力から札束の世の中にすり替わっていて、武力より札束の方が、人を動かせると知った
そして今ヨーロッパは、人権とか環境とかを口の端に、大変お上品にお成り遊ばした
人は、やりたい放題やって飽きるか、痛い目に会うかしないと気が付かない

ヨーロッパはウクライナの玄関に、勝手に札束を置いたのだ
ウクライナは武力より、札束が強いと気が付いた

そこ迄考えたら、原始人、古代人は何で動いていたろう?、と思った
古代人は、土地と農業では動いていないのだ
当然、武力も思考外だ

手の届く所に、山菜や木の実、貝やあわびがある
土地では無く、自然が欲しかった
その自然の声、ささやきに、そば耳を立てた
その自然から、真理を得ようとした
メソポタミアでは、月や星から自然を極めた
インドではバラモンが、自然と小脳の交錯を、ヴェーダとスートラに記した
中国人は、漢字文字を作ったが、これは神との交信の秘具だった
縄文人は、巫女や神の声を聞こうとした
これを人は勝手に、神道とか自然崇拝とか呼んでいる

さてこの原始時代に、古代都市が出現した!
なぜか?
ピンポイントながら、農業が生まれたからだ
難しくはない
広大無辺な農村に工場が生まれて、ロンドンやニューヨークや東京に、巨大都市が出現した
同じく
広大無辺な狩猟採集の原野の水たまりに農業が突然変異して、メソポタミアやガンジスや黄河に都市が生まれた

問題はこれからだ
上で述べた、世の中は進歩しても、人は気が付かない現象、その隙間に悲劇と喜劇の相克が生まれるのだ

農耕は蓄積と富者を産み、人の上に立つ人が生まれた
古代人の上に立つのは神しか居ないから、その人の上の人は神であらねばならなくなった
これがエジプトのファラオが、神的権威、神的王権を唱える理由だ
くだるが、キリストが神になれたのは、ソロモンがメソポタミアの人の上の神であり、キリストはその子孫だからだ
神の子とは、これを言う
エホバ神がマリアに受胎したからではない
中国でも三皇五帝は神の領域だ
日本も然り、天皇は現人神だ
(ただ日本の天皇は、農耕ではなく通商の神だったが)

もう一つ誤謬が起きた
古代宗教だ
古代都市の誕生は、人間が自然を離れ、人工の対人空間で生きる事を意味する
ギルガメッシュフンババを殺したのだ
もはや自然と人間の契約書である自然崇拝が役に立たなくなり、対人空間のルールが必要になった
これが古代宗教だ
その説はどの宗教も、皆同じ、盗むな、殺すな、姦淫するな、のオンパレードだ
つまり、倫理であり道徳だ

それだけでは無い
この宗教が余りにも従順な人間を作る作用の絶大さに、これで人を動かす、否、動かさなくする道具に使う権力者が続出した事だ
中世キリスト教や、新大陸布教活動、どれほどの人と、エネルギーと、歴史が動いた事か
日本でも聖徳太子が出、国分寺支配が本気で歴史に現れた

 

指摘を受けて、追加します

日本史の本を読めば、日本はそういうふうに歩んだかと思う
西洋史を読めば、あまりの違いとその歩みに驚くが、そうなのだから仕方ない

学者は、微に入り細を穿つし、重箱の隅を突つくが、事実ばかりで理由や原因を言わない、
そして
日本は日本、西洋は西洋、これは当たり前とし、疑問を投げかけない事だ
それが歴史家で、比較するのは文化人類学だと思うのだろうか

私はそこから出発している
ただ文化人類学と異なるのは、感嘆し感動する事ではなく、理由を探している
そして日本もヨーロッパも、歴史の原理は経済で読み解けないかと

さて人は、生きる為に生きている
その手段が、狩猟採集、農業、産業生産と変異している
(細いが、産業生産は貨幣流通と信用を前提としており、これはこれで深い大問題であり別記する)
たったこれだけでも、西洋と日本は一つになる
なぜ学者はやらないのだろう?
(同じ事はマルクスもやったが、結論はまるで違う)

ちなみに上を読み、中国を思い浮かべた人は、偉い
中国は上の原理の枠外にある