ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

坂本龍馬、何か変だよ、司馬遼さん

龍馬が行く、有名なので読んだ、だいぶ前の話だが
感動より、疑問符だらけが残った
一介の素浪人がするすると、時代の前面に躍り出るだけでなく、亀山社中なり海援隊なりの商社的組織も立上げて儲けている
その理由何も示さず当人の力量とばかりに、司馬遼さんは満足している

で、機会あるごとに調べるともなく事実を拾った

先ず、脱藩後千葉道場のこねで、勝海舟の知遇を得、勝塾に入る
これは、龍馬より勝に驚く
言うなれば世間の浮浪人を集めて官費で飯を喰わすに等しく、良くこんな、と
勿論、正常な判断がはたらき、じきに勝塾は閉鎖される

で、龍馬は素浪人に戻ったが、折しも薩摩は薩英戦争と長州砲撃で、戦艦と技術者を失ない、勝塾生を技術者として拾ったのだ
これが二つ目の偶然だ

他の者はそのまま技術者だったが、龍馬は長州人と交流があり、これまた薩長同盟の機運に乗じ、その仲介の露払いをさせられている
勿論これを企画したのは薩摩藩家老小松帯刀で、龍馬は使い走りにすぎない

ここで龍馬の能力は、浪人の時に諸国を歩き長州人と知己を得ていた事だろう

その後の亀山社中薩摩藩の肝入りで、薩摩が龍馬を体よく囲う擬半官半民の外部団体という位置づけと思われる

その後海援隊に組織替えされるが、これは土佐藩家老後藤象二郎が、脱藩龍馬を引き戻す隠れ蓑だろうと思う
現にその番頭として、後の三菱創始者岩崎弥太郎を送り込んでいる

その後、龍馬は暗殺されるが、その時を見渡すと、龍馬が推した大政奉還は時代遅れで、誰も龍馬を必要としていない事に気が付く
と言うか邪魔者、厄介者になっている
幕府見廻組が近づいても、誰も守る者が居ない

小説家とは、文学とは、こんな物かと思った
ところが驚きは一度には、留まらなかった
後日、司馬遼太郎項羽と劉邦を読んだ
二人の英雄の、純粋な活躍譚だった

これは文明の衝突だと、何故分からないか!
黄河の小麦文明と、揚子江の米作文明が拡張し、この時接触し、摩擦し、衝突を繰り返し、決着付けざるを得ないまでに接近した、そういう文明的史観が、全く欠落している
歴史と文明から、それを動かすのが経済だとの視点を、欠落させた残滓が文学なのだろうか