ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

ヨガ、瞑想、小脳

[お岩さん]
2017年の春まだき頃、籾殻燻炭を作った
その頃から、右まぶたがぽってりはれて来た
どんどん広がり、顔半分が葡萄の房を貼り付けたようになった
眼がとび出した
その形相、お岩さんそのものだった
(後で思ったが、お岩さんは脳腫瘍だと思う
その症状、私とそっくりだ)
 
[しこり]
3月14日、近くの眼科医院へ行った
眼の周囲を触診してポツリ、目の奥にしこりがある、と
驚いて聞き返した、しこりとは何か!、がんの事か!、と
医者は答えなかった、ここでは脳の中は分からないから紹介状を書く、と
脳の中、という言葉に、私は二度驚いた
 
[銀色の塊]
翌15日、関東労災病院MRIを撮った
その画像に驚いた
頭蓋骨を輪切りの写真、その上部には眼球の空洞がある
その直下に、卵大の銀色に光る塊があった
医者はその画像を見ながら、同僚の医師と延々と電話を始めた
(後でその医師は、脳外科医だったと知った)
電話が終わるのももどかしく、私は聞いた
「あの白い塊は、ガンですか!」、と
「ここでは分からない、紹介状を書く」
「どこですか!」
 
分からない、分からない、の連発だが、紹介状は一直線ではないか!
私は観念した、脳腫瘍だ・・・
この日私は、病院の廊下で崩れて泣いた
 
[空気、空気、空気]
私は、通帳を一つにした
妻と子に、家の権利書を教え、電気ガス水道通信の全部を振込に変えた
遺族年金も調べた、7割程が妻に支払われる、と知った
妻も友も励ましてくれたが、苦しさ恐ろしさからは逃げられなかった
胸が焼け、胸を掻きむしり、胸を叩き、河原に倒れて胸を打った
息苦しくて、たまらなかった
田舎で始めた畑、もっとやりたかった
道の駅から近いから、カフェも開きたかった
これらが狂おしいほど、狂おしく、胸が渇いた
死そのものの恐怖や、家族との別れや苦しみを思わなかったのは、今となれば不思議だし、人により、苦悩の種類は異なるのだろうか
 
[執着]
胸が苦しく、空気が欲しくて、欲しくて、欲しくて、広い河原へ行った
広かった、流れの上も、流れの下も、頭上の空も
少年野球が、声を張り上げていた
幼児が遊具に、取り付こうとしていた
足元には、紫の菜の花が一輪、一輪、また一輪
皆々、輝いていた、美しかった
たまらずいとおしい、と思った
何故だろう
私の心が、諦め、遠のいて行く
執着が、薄れ始めた
息苦しさが、遠のき始めた
と云うか、私を狂わせるのが執着だった、と気付き始めた
 
[大脳、哺乳類脳]
仏教では、愛憎を執着と云い、遠ざけるらしい
分からなかったし、逆にキリスト教では愛は徳目だが、この時初めて分かる気がした
これがある限り、死は恐ろしいものに化けて襲いかかる
そして七転八倒、狂い泣きしながら、死ぬ事になる
執着の最たるものは、善悪、正邪、愛憎のような強い情念だ
これだけは避けなければならない、最悪だ
それより弱いがやはり、理想、希望、夢、これらも執着なのだと知った
これら共通項は、大脳の空想の産物、これに気が付いた
 
[小脳、爬虫類脳]
対する河川敷での発見、共通項、それは小脳の世界ではないだろうか
小脳の世界とは、執着の無い世界ではないだろうか
小脳に生きる爬虫類は、善悪を知らず、愛憎を知らず、執着を知らない
大脳を持つ哺乳類にして初めて、いつくしみと憎しみを知り、正邪を知り、また夢を見る
これが巨大な妄想を生み、執着を生む
これが無ければそもそも、生も死も、その境界も、知らずに済んだのではないだろうか
 
[瞑想]
河川敷での発見以来、私は部屋で瞑想するようになった
掛け軸と一輪挿しを前に、尻に座ぶとんを当てがい、まぶたを閉じる
昔、瞑想を教えてもらった事がある
(それと河川敷の情景がかぶさった・・・)
暗い部屋で、静かに音が流れ、言われるままに、自身の懐かしい風景を、楽しかった情景を繋いでいく
私は、故郷の川や林に分け入り、在るものを在るがままに見た
それら多くは幼少期の記憶であり、その情景の連鎖だった
今思えば意思、と云うものが無い世界だった
あの時と河川敷は、瓜二つだった
意思が無い、そして執着が無い、小脳の世界、爬虫類の世界だ
死ぬ時は子供に戻ると云う、きっとこれではないだろうか
話はそれないと思うが、もうろく、認知症アルツハイマー、これは神のプレゼントでは無いだろうか
死の恐ろしさから逃れる為、神様が大脳を殺してくれたのではないだろうか
(西洋医学・・・、これを治そうとしている
これを治せば、もっと恐ろしい物が現れる
それが分からないのだろうか)
 
[青空]
一週間後3月22日、予約に従い、国立がん研究センターへ行った
私はたまらず詰め寄ったが、医者は答えなかった
「ガンか否か、その為に手術では、さすがにバカバカしいでしょう」とステロイド薬を処方された
「ガンに効く薬は無い
もしこれを飲んで効いたらガンではない
効かなければ・・・」との説明だった
それから数日、目の腫れは峠を下り始めた
この時初めて光明が、射し込んだ
4月5日、二度目のがんセンターだ
この時、眼の腫れはほぼ消失していた
けれども医者は、何も言わず、三度目を指定した
4月25日、最後の審判が来た
目の腫れは完全に消え、遂に医師は結論を口にした
がんセンターから出て、薄曇りの築地の空、浜離宮庭園で寝転んで仰ぎ見た空、どこまでも明るく、広く、自由だった・・・
 
[小脳と仏教]
自分の体験を細かく述べたのは、そこで発見した「瞑想」の救いを具体的に示せば分かって貰えるかと思ったからだ
さて問題は、その同じ事をニ千六百年前に言った人が居る、と言う事
ブッダ、だ
仏教とは何か、大きすぎて答えられない、それは確かだ
ただそれは、最初は小さかった原始仏教に、周辺の国々が色んな物を付属させていったからだ
その大乗では、政治、民族、文化、哲学、心理学等をてんこ盛りに積み重ねていった
龍樹は実存主義を盛り、世親は心理学を盛り、民衆は濃厚な土俗信仰と自然崇拝を盛った
これらは皆、旺盛な「生」の発露であり、好きに言い争って遊んでいればいい、と思う
私には彼等が、生を享受し享楽している、と見える
しかしその分、ブッダは後ろに隠れた
さて私は、死の淵を覗き込んだ今、はっきり分かる、ブッダの言った事が
ブッダは「小脳」を言いたかったのだ
 
日本では、仏教が仏教で始まったと言う印象を持ってしまうが、間違いだ
仏教は紛れもなくヨガの一派であり、その血肉は百パーセント、ヨガと同一だ
事実インドでは、ブッダはヨガの行者の一人とされ尊崇されている
そのヨガとは何か?
枝葉を払えば、インナーマッスル、だ
これは、力仕事で使うアウターマッスルに対する言葉で、その筋肉を静かに戻すべく、その内側にペアで存在している筋肉、それがインナーマッスル
重石を持ち上げた背筋は、腹筋で休む
強く握られた拳は、小指で戻る
登山の足は、外ももで登り内ももで戻す
これ実は、肌の色と一致している
背中は黒く腹は白い、腕の外は黒く内は白い、
足の前は黒く後ろは白い
これら各筋肉は、胴、腕、足の外側の黒い所にアウターマッスルがあり、内側の白い所にインナーマッスルがある
これは示唆に富む
人は元々四足だったからだ
四足動物は、陽に当る皮が黒く、陽に当たらない皮が白い
これがそれぞれに、アウターとインナーのマッスルが対応している
インド人はこのインナーマッスルを発見し、これを刺激し目覚めさせる事で、体をコントロールできる事を発見した
調整だけでなく、病気を治し、病気を避け、予防医学に迄高めた
このブログの最初にアップした樺島氏の「禅体操」は正にこれであり、私の肩、腰、膝、踝の痛みはおろか、呼吸で姿勢を整えたので心肺機能が向上し、花粉症まで改善した
胸が開き、姿勢が垂直に、顎が引かれ、歩けばももが上がり足が軽い
それはショーウィンドウの影を見て知ったが、スキッとし、スカッとするのが、禅体操の後の第一義的爽快感だ
つまりインナーマッスルで、体だけでなく心まで整う
人やその言葉がスラリと通り、世界が好意と善意に満ちて感じられる
面白い
大脳は意思を持ち、小脳と延髄は体と手足に命令し、筋肉が順次に連続して動くが、これは逆も真ではないだろうか
つまりインナーマッスルを鍛え整えると、自律神経を伝わり小脳が心地良くなる
短く言えば、心を変えたいなら、身体から変えた方が早い
 
[内臓と座禅]
このヨガの対象は筋肉であり、この筋肉は当然意識も認識もできる
しかしインナーマッスルの最たるものである内臓、休めとも働けとも命令できない心臓や胃腸、意識にさえのぼらない肝臓や腎臓や脾臓、ヨガはどうやってこれらをコントロールするのだろう
実はそれが座禅、なのだ
仏像は、結跏趺坐を組み、目は半眼にして見るとも見ないとも無く、手指は印を結び、いつ見ても座禅をなさっていらっしゃる
これによってこそ、ヨガは内臓をコントロールするのだ
座禅は、不動心、根性、精神等などと言われ、要を得ない
当の僧侶でさえ、定見は見られない
理由は単純でなく、一筋縄で行かないからだ
なので以下では話を、二段、三段に分けて構える
先ず神様は人体の設計に当たり、一つのミスを犯した
人体の重要な内臓器官の筋肉は、悉く小脳と自律神経が司どり、気まぐれな大脳の配下には置かなかった
その筈だったが、出来てビックリ、肺で設計ミスが起きていた
他の内臓は筋肉組織と自律神経で固め小脳の下に収めたが、肺はただの袋であり、これ自身に収縮拡張の能力を持つ筋肉、これを付与するのを忘れたのだ
慌てて横隔膜の上下で、肺に「収縮拡張」と「呼吸」をさせる機能を付け加えたのだが、この横隔膜、元は大脳神経系の配下にあった物だった
大失敗と言っていい
そんな訳で肺だけは、普段は小脳、意識すれば大脳でも操作可能な臓器になった
ここに目を付けたのが、座禅という呼吸法だ
実は肺については、もう一つの重大なミスが重なっていたのだが、これはどうも神様自身も気が付いていないようなのだ
つまり呼吸は、横隔膜だけでは完璧とは言えず、「姿勢」が隠れたネックになっていた
うつむき肩をすぼめると胸が小さくなり、横隔膜が動作しても半分量の空気さえも取り込めない事態が発生した
街行く人を数えるといい、背筋の伸びた人は十人に一人いるかどうか
つまり背骨という大黒柱を、骨盤と両下肢の上に真っ直ぐに立てるための筋肉群(大腰筋、腸骨筋、脊柱起立筋群、腰方形筋、臀筋群、広背筋、腸脛靭帯)と腹筋、これらを今簡単に「姿勢筋」と呼ぶが、これが加齢と共に急速に衰えて、姿勢が崩れ、体が呼吸不全と酸欠状態になっている
そろそろお分かりだろうか、座禅とは姿勢筋を鍛える運動、ヨガだった
運動とは程遠い姿勢と思うだろうが、ヨガとはポーズであり元より動きはない
かくして姿勢筋を鍛え姿勢を正し、大量の空気が取り込める胸に改造する
つまり、神様が作り忘れた呼吸筋は、横隔膜と姿勢筋で代替されたのだ
呼吸筋はイコール姿勢筋なのだ
そしてもう一つの横隔膜だが、これを大きく下げて少しでも多くの空気を取り込む工夫、これを丹田呼吸法と世間では言っている
そして肺が座禅で活発化すれば、「心肺」と並び称される心臓も活発化する
これで新鮮な酸素と血液が、体の隅々に行き渡る
肝臓に行けば解毒処理され、腎臓に行けば老廃物が処理され、胃腸に行けば栄養を取り込み、肺に行けば酸素が溶け込む
だから「座禅」は、根性とも精神とも関係ない
座禅をこのように説明した僧侶にも、会ったことはない
 
[仏教は宗教ではない]
話はそれるが、原始仏教は宗教ではない事、それより医学に近い事、お分かり戴けた事と思う
キリスト教イスラム教、ユダヤ教儒教などは皆、倫理だ
それまで自然の猛威に恐れおののいていた人類が、自然を破壊し都市文明という人工の対人空間で暮らすようになり、自然のルール、即ち自然崇拝が役に立たなくなり、人間のルール、即ち人間宗教が必要になった
その需要に応じた各宗祖たちが、広げて見せたのは倫理であったが、そんな言葉は無かったので、宗教と名付けたと言う事だった
ただ仏教も、原始仏教が上座仏教に引き継がれた時は倫理宗教に変身している
同じく原始仏教大乗仏教に引き継がれた時は、自然崇拝に戻った、と私は思っている
その境目で生まれた龍樹哲学と世親心理学は、余りにも大きく大きく、人類史上の奇観、人類史上のバケモノと言っていい
(失礼だが、西洋哲学は幼稚園に見える)
 
[ブッダと瞑想]
ようやく「瞑想」に近づいた
ただ私自身、瞑想が分かっている訳ではないのです
以下はその知っている特徴を、羅列するだけです
 
1)ひとまず整理すると、インナーマッスルと座禅までは、仏教はヨガから飛び出していない
ヨガと座禅迄は、体の事、予防医学の事だった
仏教がヨガから別れて認識されるのは、瞑想を言い出したからだと思う
瞑想による救い、瞑想による解脱を言い出したのだ
瞑想が目的であり、ヨガの修養は基礎課程になった
 
2)仏教は、死や苦しみや生の否定からスタートしている、と非難される
現に仏典は、生老病死や煩悩などの言葉に溢れ、喜びや楽しみの事は何も書いてないから無理もないのだが、それは違う
生きていて楽しい内は、それで良いのだ
問題は、悩み苦しみ、そして最大の矛盾である死に直面した時、しかも解決出来れば良いのだが、解決できない問題はどうしますか、と言うのが仏典の記述なのだ
この時、瞑想と言う方法が有りますよ、と言ったのがブッダだったのだ
私が何故そう思うかと言えば、最初に述べたガン宣告(正しくは紛らわしい腫瘍)で死の恐怖に苦しんだ私が瞑想で救われ、死でさえその恐れ苦しみから離れられた、からだ
死の次に来る苦しみは、家庭崩壊や肉親間の憎しみなどだろうが、死でさえ遠ざかるのだから、当然これらにも効く、と私は確信できる
それより軽い幾多の悩みは、各人の努力で解決すれば良い
 
3)ブッダの時代に瞑想という言葉があれば、仏典はもっと分かりやすかった、と思う
仏典は、意味不明、難解、非論理的、同じ内容を示すおびただしい数の単語などなど、およそ論理や筋道からは遠い
その理由は瞑想を陳述したかったからなのであり、他の宗教の経典とは目的が違っていたからだと思う
為にその書は、御経とかスートラとか言われ、意味や内容がある物とは思われていない
瞑想の他にもう一つこの時期に、大脳小脳とその言葉が発見されていれば、仏典はガラリと変わっていたろう、と思う
難解にして難解な世親の書だが、私に言わせればあれは小脳の世界を記述している
阿頼耶識を始め、今の言葉で言えば遺伝子にまで、或はその遺伝子に仕込まれた宇宙の意思、そこにまで探究を重ねた狂気の書だが、私に言わせれば、大脳は虚であり小脳は実だ、と言っている
その小脳の世界に没入しトランスする行為、それが瞑想なのだ
 
4)大脳と小脳
学校で教えるのはその模式図と、大脳は思考を担い、小脳は自律神経を束ねる、と言う事だろうか
これに加えて私は大脳と小脳は、哺乳類脳と爬虫類脳と言えば分かりやすいと思う
哺乳類脳は物や出来事を認識し、考えたり言葉にしたり、瞬間瞬間に判断を積み重ねている
このお陰で我々は、資本主義社会と金の世渡りが出来ている
さてその認識方法だが、二分法がよく現れる
高い低い、上と下、長い短い、広い狭い・・・、これらは相対する物が有っての話で実体ではない
この延長に俺とあいつが、好きと嫌い、尊い卑しい、上か下か、先か後か・・・、が生まれて来て段々生臭くなって来る
お分かりだろうか
この世の苦しみは、実は大脳の創造物、大脳の仮想現実であり、大脳が無ければ存在しない物ではないのか・・・・、と
仏典で煩悩や業と言っているのは、これの事だ
一方爬虫類脳だが、これは鰐を思い浮かべれば分かりやすい
水面から体半分だけ出して石程も動かない、蝶々が横切ろうが、蛙が小便をしようが、鳥が背を歩こうが
ところが獲物が守備範囲の内側に入るや、ガバと一撃、目にも止まらぬ早業で岩が動く
これが小脳、これが爬虫類脳だ
この鰐の脳は、俺とあいつの、上下や後先や貴賎を比べたりしない、という事だ
或はこの鰐が年を取り弱ってきたら、俺は弱ったと思うだろうが、死に怯えるという想像力は有るだろうか、という事だ
小脳とは、そして瞑想とは、鰐の事ではないだろうか

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5)瞑想は、姿勢は無いようだ
座っても横になっても、座禅型でも良いようだ
大脳からトランスする為に、例えば幼少期の風景に自分を置き、それを見それを追うのが私の方法だ
それがうまく行けば、どんな悩み苦しみ、死の恐怖からも離れらる
もう一つ参考までに
小脳に気持ちいい、と思ってもらう事だ
それは人によるが、絵描き、音楽、おしゃれ、登山、スポーツなどがあると思う
これに没頭すれば、時を忘れる
滝の汗で峰に登り眺めれば、下界のいざこざやあつれき、何と小さい事かと心が洗われる
この気持ちは、ケーブルカーでいきなり頂上に立っても得られない
汗をかき筋肉で登るうちに小脳優位となり、その小脳が発する世界観なのだ
仏教は大脳の世界ではなく、小脳の世界が本当だと言っている

頻尿と冷え性と、ぬか漬け?

頻尿など、年寄りじみた話で、心苦しいのですが・・・、恥をしのいで申し上げます
私、頻尿が治ったのです!
ハイ、ケロリと治ったのです
嬉しいと同時に、不思議でたまりません
 
私、若い頃から血気盛んな、健康優良児
世に言う冷え性とは何の事か、サッパリ分かりませんでした
最初に知ったのは、結婚でした
カミさんの足、夏だというのに氷のように冷たかったのです
足と足が触れた時、足元に氷でもあるのかと、思わず足を引いたのが最初でした
対する私は冬でも、布団から足を出さねば熱くて寝られない、ポカポカ体質です
 
(ちなみに冷え性の対策の一つに、登山が有効なようです
その方面の縁で、山小屋の奥さんと知り合いました
その人、華奢で手足が長く細く、極度の冷え性持ちでした
山小屋には不似合いな人でしたが、山男と結婚し、山小屋の女あるじになってしまったのです
為に週に何度か、登山が仕事になりました
そしたらあら不思議、あんなに苦しんだ冷え性が、消えて無くなったのです
今は冬でも薄手のカッターシャツ一枚で、ヒラリヒラリと山を登ります
足腰に筋肉が付き、この緻密な筋肉群が、あの奥さん基礎代謝量を数十倍にしたと、私は密かに思っています)
 
そんな私が去年の冬、突然頻尿が始まりました
最高は一晩七回、起きました
こうなるともうフラフラです、夢遊病状態です
トイレに行く、たったこれだけの事ですが、途中のつまづき、階段、加えて私の家はトイレが一度外に出る構造になっています
その外は零下10度15度の厳寒、酷寒、氷の世界、脳出血紙一重です
遂に私は戸の向こうに、シビン(に代わる器)を置くに至りました
 
勿論必死に、考えました
午後三時過ぎたら、茶もコーヒーも飲みません
夕食の味噌汁は、考えに考えた末、やめました
カミさんをまねて、寝床で厚手の靴下を履きます
湯たんぽも使い始めました
パジャマは寒いので、普段着のシャツとズボンを専用にし、首にバスタオル、手首と足首は閉じて温めます
その結果七回が、三四回に減りました
一回も起きなかった事も、数回ありました
 
ただ、医者には行きませんでした
年を取ると膀胱が、固く小さくなるからだと言うのは分かっています
薬の対症療法で、力づくで抑え込むに決まっています
(ちなみに、西洋医学は何故これ程無能になったのか、と思わずにいられません)
 
さて冬が過ぎ、夏が来ました
夜のトイレはゼロになると、高をくくっていたのに、二回三回は起きるのです
私は驚くと同時に、絶望的になりました
もう対処のすべは有りません
冷え性は、夏こそ怖いと、改めて知りました
 
そんな折の、この秋です
突如私はトイレに起きていない、と気が付きました
(面白いですね〜、病気は気が付くのに、健康は気が付かないのですね
健康とは、「何ともない」事です、だから気が付かないのです)
 

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さてここから先は、推測の話になります
実はこの秋起きた、重大な変化があるのです
ぬか漬けと言う、食生活です
これが、おいしくて、おいしくて・・・
ご飯に自作の納豆、皿には自作のぬか漬け、碗には具沢山の味噌汁
典型的な、一汁一菜です
ハイ、共通項は、皆醗酵食品です
ちなみにぬか漬けは、色々です
大根、人参、キュウリ、ナス、ミニトマト、軽く茹でたジャガイモ、ピーマン・・・
これを皿に取り、ごま油を垂らし、黒胡椒を挽き、チーズを乗せます
立派な腹持ちのする、一品になります
毎日同じ朝食、よく飽きないものですね
 
不思議です
これを知ってから、好きだったパスタやラザニア、ローストビーフ、ポトフ、ブイヤベース、或は自分で焼いた食パンや、バゲットに興味が無くなりました
舌と口は欲しがるから作るのですが、腸がそれ程喜んでいない、納得していないのが分かるのです
ですのでもっぱら昼ごはん用、晩ごはん用です、しかも時たま
ましてや街のレストランで金を出して食べるなど、体が完全に拒否反応を現します
 
さてこの発酵食品のお陰だと思うのですが、私のしつこいアトピーは、嬉しくも完治に近く改善したのは、以前申しました
今回頻尿が消えて、足先にポカポカが戻ったのも、これ以外に思い当たらない、これを言いたかったのです
 
推測の屋上に、屋を重ますが・・・
胃腸は消化吸収、と言われますが、私は間違っていると思います
正確には、消化し分解しているのは腸に居る醗酵菌です
腸はそれを、吸収しているだけなのです
この腸内フローラ、当然加齢で衰えるでしょう
加えて、食品添加物の中心である防腐剤とは、菌を死滅させる薬です
これが腸に行けば、腸内フローラを破壊します
逆に発酵食品即ち醗酵菌が腸に行けば、腸内フローラが喜び働き、腸は存分に吸収し、その栄養は酸素と共に体の隅々、体の末端の足先に迄行き渡りポカポカと温め、同時に腸が主人公として差配する免疫系も活性化し、アトピーを退治します
そんな気がしてならないのです
 
ただ分からない事もあります
ぬか漬けを食べ始めたのは最近ですが、納豆、味噌、チーズ、ヨーグルトも好きでした
更には無理して、EM1も飲んではいましたが、今回の「事件」は、初めてだからです
また私のぬか漬けは、翌日か翌々日に食べるので、かすかなかすかな浅漬けに相当します
逆に市販のぬか漬けは、食べてはなりません
醗酵菌は、死滅している筈です
代わりに防腐剤が、充満している筈です
もし菌が生存していたら、あの袋は膨れ破裂する筈です
 

資本主義の外へ、そして中へ

[自給自足]
自給自足にあこがれた
自分の事を自分で、これは気持ちの良い事だ
勿論米も肉も調味料も作れないのだが、田舎に住み畑を耕し野菜を育てた
気分は充分「自給自足」だった
ただこの時点では、種から芽が出て驚き、実をかじって喜び、感動するばかりで、それに要したお金の事は考えていなかったように思う
 
[自炊]
お金を考え初めたのは、料理だった
野菜が採れると、その料理が始まる
午前の畑と、午後の炊事洗濯掃除風呂に追われ、料理はシンプルと簡潔を極めた
瀬尾幸子氏の、煮るだけ、焼くだけ、炒めるだけの、だけ料理と、同じ素材ばっかりの、ばっかり料理になった
同じく稲垣えみ子氏の、味噌汁と糠漬けの、一汁一菜の、醗酵料理に行き着いた
ちなみに、手抜きの一本道を辿って極めたこれらの料理は、皆々おいしく、今も飽きず続いている
体が奥底から、納得するのが分かる
(これはこれで、別途取り上げるべき価値のあるテーマだ)
(もう一つこの醗酵づくしの食品で、私のしつこいアトピーもほぼ完治に近く改善し、これも嬉しい)
そして家庭菜園と自炊で、食費は期せずして劇的に安くなった
一食二百円、一ヶ月二万円になった、一万円の事さえある
 
[お金、経営、資本主義]
経済の事を考えるようになったのは、この時だ
先ずこの金は、月数回のアルバイト代相当であり、現役時代の長時間労働は何だったのかと言う事になる
十働いて一を貰い、一を得るのに十払っていた
餌と卵だけが人生の、ブロイラーだった
或はネズミの回し車だった、働いても働いても籠の中だ

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そして今は、景気が上向こうが下向こうが、それは川の向こう岸で起きている出来事になった
それとは無関係に私自身はお金が無くても、確実に生きて行く力がある
(勿論、食費の他は、家ローンと教育費と先々の病気の為だが、今言いたいのはそれでは無い)
私はいつの間にか、資本主義引力圏の外側に立っていた
資本主義に、勝ったのだ
だからお金という鞭を振りかざされても、私はもう動かない
働くのは、面白い事、楽しい事、やりたい事がある時だけだ
そして今、ムクムクと湧き上がる思いがある
今度は鞭に怯える奴隷としてでは無く、プレーヤーとして、オーナーとして、資本主義に再突入したいと思うのだ
一番面白い遊びは、経営ではないだろうか、と
一日一日が真剣勝負、これこそが命を懸ける的では無いか、と
 
[光熱水費]
資本主義を外側から見るとよく見える、その例として、身近に光熱水費がある
食費が激減すると、家計簿で次に目障りになって来るのは、光熱水費だ
焚き木も、水も、昔はタダだった
その金額が食費に迫ったり超えたりは、おかしい
加えて、この支払の為に働かされるのは、鎖に繋がれた犬の気がしてくる
(実は国が、人を隷属させる方法は三つある
最初は租税の物納からの金納化、次は義務教育という名で子を人質に取った事、そしてこの火と水だ)
 
先ず、電気だ
チマチマと節電しても、電気代は下がらない
基本料金を10アンペアに落とし、それ以上の家電をバッサリ切り落とすのだ
その筆頭のエアコン1500Wだが、これはアメリカの高気密高断熱をまねた、不幸な結果だと思う
日本古来の、屋敷林の木陰に、風通しを旨とする構造に戻せば良い
次はオーブン1600Wだ
私はノブヒェン窯を工夫して、ガスコンロでのオーブンを考案した
火力も強く、トーストや餅は勿論、ピザもフランスパンも焼ける
トースター900Wも不要、ノブヒェンのオーブンが兼ねる
レンジ750Wも、使用電力は倍の1500Wなので捨てる
冷えたご飯は、レンチンより蒸す方がおいしい
この2横綱と2大関が居なくなれば、契約アンペアは10にして基本料金を280円に落とせる
更に炊飯器は普通の鍋でOK、これが日本人を白痴にした
こたつ500Wはストーブがあれば充分、そこからダクトをこたつに引き入れる
冷蔵庫の70Wは小さいが、電力消費は時間の掛算だから、金額は大きくなり問題だ
この廃止は、食生活と考えをガラリと変える必要がある
ご飯の保存はおひつに戻し、レンジでなく蒸して温める
野菜の保存は、干し野菜とぬか漬けに拠る
肉はブロックで買い、塩漬けで保存するか、そのつど買う
残す物は、洗濯機70W、風呂ボイラー160Wなど
後は、照明とパソコンとスマホ
これで電気代は月五千円が、五百円に落とせる
 
家計簿の二番手に来る電気、その電力会社が事実上の国営である理由は、国こそが最大の資本家であり、国が電気という手段で人を、資本主義から逃げられないように出来るからだ
私はこれを、危うくかわす事に成功したと思う
 
次はガス代だ
ご存知だろうか?、プロパンよりカセットボンベの方が安い事を
煮炊きは、カセットコンロで十分対応可能だ
ただ、風呂の為には残さざるを得ない
家風呂は風呂屋より格段に安いし、真夏真冬の風呂屋の行き帰りは過酷だ
これでガス代は、月五千円がニ千円になる
 
水道も問題で、今後考えたい
これは上水より、トイレと糞尿の下水問題が絡んで来る
 
[車]
この車で、私の家計簿の登場人物はほぼ終わる
言うまでもなく、車は高い、金食い虫と言っていい
定年と同時に車をやめる人が多いのは、家より小さな車の方が、税金が重いからだ
先ず車の減価償却だが、百万円の中古車を十年乗れば、月八千円だ
その他の経費を見てみよう
春の税金は乗用車五万円(?)から、軽の四千円に落とした
任意保険は年六万に迫るので、来年からはダイレクト保険に変え、年一万ニ千円にする予定
二年に一回の車検費用の十数万円は、やはり狂っている
国が法律で強制する出費だが、こんな制度は日本だけだ
次回からは、ユーザー車検にトライすべく勉強し、五万円くらいになれば、嬉しい
もう一つガソリン代だが、その半分は税金だ
その上消費税を、二重取りしている
対する最近のエコカーはすごい、燃費は倍、燃料費は半分だ
私の場合、月七千円が半減し、三千五百円になる
車を買い替えても数年で元が取れそうだ
以上で車の消耗品費は、
春税金5万円(?)から4千円に、
年保険6万から1万2千円に、
二年車検12万円から5万円(?)に、
月ガソリン代7千円から3千5百円に
これにより今迄は
二年で10+12+12+16.8=50.8万円、
月2.12万円だったのが、これからは
二年で0.8+2.4+5+8.4=16.6万円、
月0.69万円となり驚きの1/3減、月2.1万余が7千円弱となる
国の税金は、私をかすめて、通り越して行ったろうか
 
[もっと大きかった物]
以上に入らないものとしては、家購入、老後の病気、教育費、税金がある
何れも巨大な金額であり、悲しいかなこの為働かなければならない事に変わりはない
ただ上の内、教育費と税金は、性格が異なる
と言うのはこの二つは明治に始まり、これこそが人をして資本主義と貨幣経済に叩き込んだ原因の根源だからだ
 
税金はかつて六公四民など、年貢という物納だった
苦しかったが平和だった
明治政府はこれを金納にしたから、百姓は貨幣経済に叩き込まれ、ついて行けずパニックに陥り、娘を売った
現に江戸時代より明治の方が、一揆の数は多い
が、これは言ってはいけない事になっている
現政権は明治の延長だからだ
 
次に義務教育だが、その代価がこれまた金納だ
つまり子供を人質に、これまた人を貨幣経済に縛り付けたのだ
 
この二つの為、生まれながらに資本主義に浸り、思考力も判断力も批判力も失ってしまった
私も無知蒙昧だったが、家ローンが終わり、子育てが終り、先に言った食費、光熱水費、車代だけの生活となって、ようやく資本主義から離れ、これが外からスケスケに見えるようになった

私の、ノブヒェンオーブン

私のノブヒェン窯です

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下から、

ホースノンカセットコンロ、

台網、

20cmアルミ円板、

細かい網、

食パン、

自作のノブヒェン蓋

 

これで、ビザトーストや、餅が焼けます

ピザもトライします

 

何を言っているかというと、

普通のノブヒェンは大きな火を外で焚く、というイメージがある

私もロケットストーブで、数度やった

これが億劫なのだ、仕掛けも、火力も、火起こしも

それが、カセットコンロやガス台でも、簡単に、しかも料理的にコントロール可能な方法でできると、言いたい

もう一つ、電気オーブンや電子レンジは電気代ばっかりで、火力は屁か、糞のレベルだ、と言っている

 

このオーブンでようやく、スカッとした

勿論蓋を二重にすれば、もっといい

ワンプレート料理

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ワンプレート料理、デビューです
玄米ご飯に、自作納豆、自作糠漬けのキュウリとニンジン、炒めた厚揚げ
あ、器は古い20cmフライパンの、取っ手を切り落としたものです
それと具だくさんの味噌汁、でした
tetteのワンプレートの写真、有難うございます、立派に役に立っております
 
最近は、はまってます
おじやのワンプレート、
親子丼のワンプレート(?)、
すき焼鍋に玄米ご飯と具を入れノブヒェンでオーブンしただけのチャーハンのワンプレート、
同じくすき焼鍋にバラ肉と野菜を入れノブヒェンでオーブンしただけのローストポークのワンプレート
ポトフも鍋一つですがワンプレートとは言いませんね・・・
そのココロは、至極の手抜き、簡略化の極み、です
 
秋の紅葉が深まります、その時の料理、こんなもので宜しければ・・・

庭木の剪定

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庭木剪定、これは何故しなければならないか、山の木はそのまま育っているのに
一つには、庭が小さいからだ
園芸店のかわいい苗木は、たちまち二階に達する
二つには、木は一度切ると暴走する
切った所から枝が密生し、樹形を乱す
一度人間が手を入れると、ずっと面倒を見なければならなくなる、これが理由だろう
 
先ず、ろうそくや卵や盃など、姿を決める
姿の外に出る枝は、葉を残し切り詰め、葉が無ければ元から切る
 
背丈を限定すると、当然枝が密生し、風通しが悪くなり、病気や虫を呼ぶので、枝すきが必要となる
その不要枝、害をなす枝には、庭師が細かく名を付けている
混み枝、重なり枝、
立ち枝、徒長枝、
逆さ枝、懐ろ枝、下り枝
見事な命名だと思う

出来た!、餅が

出来た!、餅が

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餅は、餅米をせいろで蒸す、と思っていた
ただ今時、臼と杵では流石に無理なので、ネットを探したら、すり鉢でこねればいい、とあった

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小躍りし、私もやった
先ずその蒸しだが、時間がかかる、1時間も
加えてその道具が巨大
後で洗うのが大変で、家庭のレベルを越えている
次にすり鉢だが、不安定なのと力が要るので続かない
おまけに餅のキメが粗く、ブツブツだ
最後に、まずかった
 
困っていたらネットで、餅つき機を買わなくても、ホームベーカリーのパンこね機能、これの最初の15分で、餅が作れると出ていた
レンチンで赤飯が出来るのは知っていたので、餅米も同じだろうと、これを組み合わせてやって見た

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あっけなく出来た
右のタッパで餅米をレンチンし10分、混ぜて更に8分
左のホームベーカリーに移し、生地こね15分
嬉しいのは、時間短縮だし、こねの力仕事も無いし、洗い物も少なく、楽ちんこの上ない
しかもできた餅の、キメの細かさとおいしさ
和菓子屋の大福に、引けを取らなかった
 
後は小豆あんだが、水に一晩浸し、砂糖と煮詰めればいい
これは以前成功していて、問題無い
 
出来た、出来たのだ!

アトピーと糠漬け、腸内フローラ

冬に痒く春に治るのが通例だった私のアトピー、今年はそれが春以来ずっと痒い
気味が悪いのは、既に食品添加物は避けているし、赤嶺勝人氏はカルシウム不足を言うので、これを補っていたのだが、それでも治らなかった
 
それが最近且つ偶然に、その美味しさに取り憑かれて食べ出した糠漬だが、これを食べていたらアトピーが消えている事に気が付いた
それも、抑え込んで症状が現れていないのではなく、根本的な原因が消えたから痒くない、そんな感じが自分でする
 
糠漬けの効能は当然、腸内フローラだ
これが整ったと言う事ではないだろうか
これがヒントとなり、この仮説で自分のアトピーが説明できるのではと気が付いた
 
先ず食品添加物、これは基本的に防腐剤であり、菌叢の破壊に傾く
私のアトピーはこれでピッタリ説明できる
 
また医者は、老人性掻痒症は内臓の弱体化と言うが、その内臓とは腸ではないだろうか
腸が老化し菌叢が乱れ、やはりアトピーが説明できる
 
実はこの醗酵食品、良いものなら何でもと、以前からEM1、ヨーグルト、納豆と試したが効果はなかった
それが糠漬けで効き出すとは知らなかった

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痒い時には、これに限る

どこでも、届く

痒みが、収まる

糠床の水抜き

以前たくあんを漬けた
 
糠と塩と水と、あれば香り付けに梅酒
レシピではこれらがグラムで示されているので、量りが必要になった
次に、その糠床を納める器が分らない
最初はレシピ通り、桶に入れた
数週間して蓋を取るのが恐かった、ウジが湧いているのではと
それも杞憂、今は冷蔵庫に入るタッパに落ち着いた
少人数では桶は大き過ぎるのと、夏は発酵が速く冷蔵庫に入れて抑える方が良い
その為には冷蔵庫に入る大きさの、四角いタッパが便利だった
それに漬かる大根の量と、漬かる日数、消費のスピード、これで決まった器の大きさだった
 
さて、たくあんは干すと言う先入観があるが、生のままの大根を漬ける、そんなやり方も有り、これが結構いける、と知った
干す場合の干し方も、試行錯誤が多かった
大根は丸のままでは無く、適宜切ってから干しても同じだ、と知った
その干し方も、三段の吊るしネットや、巻きすだれに毎日広げたり片付けたりは、何か面倒で続かなかった
今は梅干し用の竹ざるが楽ちん、と思っている
皆々初めてで、ストレスと発見の日々だった
 
ところがこれらの努力を覆す問題が、発生した
漬けると、水が出てくるのだ
この為せっかくの糠床が使い物にならなくなる
これが原因で、糠床たくあんが続かなくなった
この期間が最も長かった
その水抜きの工夫が、下の写真
醤油の小瓶、正確には小さなペットボトル
これの下から2センチ程に穴を空け、上は切る

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これを水が出始めた糠床に、立てる
すると底に水が溜まり、捨てる事ができる
これを繰り返す、と言うか、常設の水抜き煙突だ
多分、糠と塩も追加すれば良いのだろう

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皆さんはどうしているのだろう?

鳩よけはペットボトルで、忍法直播き苗床

加藤義松氏の本に出ていた
大豆の鳩よけだが、大豆を畝に直植えしたら、ペットボトルを半切りしこれを被せる、と
早速鳩に喰われた所を、これで補植した
ちなみに氏によれば、鳩は土中の大豆をほじくるのでは無く、芽を出し双葉に割れた豆をついばむのだと言う
その双葉、苗にとっては母乳に相当する栄養のカプセルだ、と
これで初めて鳩害が、腑に落ちた
さて本題だがこの方法、これはまだ寒い春先の夏野菜の苗や、秋野菜の苗が始まる夏でも、使えるのではないだろうか

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春先の苗床作りや苗作り、気が乗らず、5年たった今も、気持ちが億劫だ
この為毎年時期を失い、遅れがちだった
結果は、夏野菜の収穫減に直結した
秋野菜も、夏の苗床作業が億劫で、これも時期を失い、結実結球の前に冬が来た
苗床方法は何かおかしい、私には抵抗がある
播種期は限られ、作業が集中する
苗床だけでは無い、それを植える畝も整えなければならない
これが鬱陶しく、やる気がなくなる
育って移植するのも、二度手間だ
(根本の理由は知っている、野菜の殆どは季節が二期の外国産で、四季の日本では季節が足りないのだ)
 
それがこの方法、ペットボトル方式でと思ったとたん、やる気が出て来た
これなら日にち限定のプレッシャーが無く、ぼちぼち畝を整え肥やしを施し、その日出来た畝に直植えしてペットボトルを被せて行けばいい
これを数日、数週間と、のんびりゆっくりの田吾作びよりを楽しめばいい
例えば大根白菜キャベツ蕪の秋野菜なら、最初の一畝作ったらこの4種を植え、次の一畝作ったらまたこの4種を植え・・・、とこれを日々、或いは数週間繰り返す
 
またどの時期が最適か、年により異なるので、播種期を揃えるのは、博打に近いと思う
このぼちぼち方式なら、播種期が分散され、実験や観察ができて楽しい
逆に収穫が分散されるのも、大事な事だ
 
ペットボトルは、コンビニのジュースに限らない
台所からは、醤油や味醂やオイルや味噌ケース等のペットボトルが出る
これらを半切りにし、上部は蓋を外し、底部は十円玉大の穴を開けて、畝に直植えした種に被せる
ちなみに底穴は、鉄パイプの端を熱し、押し当てる
 
直播きと苗床の違いは、言う迄までも無いが、苗床は箱入り娘だ
確実、安全、綺麗に育つ
直播きは、雨で土が流されたり、虫に食われたりで、見るからに痛々しく、発芽に成功しても半分は育たない
これがペットボトルのミニ苗床、ミニ温床のお陰で、苗床や温床での育苗に近い程に綺麗に育つ

15歳で起業、武藤篤史

ラジオで紹介された武藤篤司氏
小学中学で不登校、15才で起業、高校はイギリス、今18才で、これから慶応大学に進むと

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驚き聞き入れば、小学2年生から引きこもり、パソコン少年となり、adobe illustratoryoutubeやプログラムにはまり、デザインに興味を持ち、15才でメルカリに参加し、イギリスの高校に進む、と
 
人間はホントに素晴らしい、と思わずにいられないし、思う所多々あるが、その一つ、イギリスでは中学校から、科目選択性だと言う
その科目だが、コンピュータ始め、まったく今日的、現実的なのだ
勿論何にも興味がない人の為の、基礎教養的な普通科もあると言う
アメリカの学校では、物を売るレッスンがあると聞いた
長年教育に疑問を持ってきたが、事ここに至りはっきりしてきた
 
もはや言うのもばかばかしいが、日本の教育は一律で一列で、ひたすら従順な人間の、製造マシンだ
そんな人間、どうやって作成するか、ご存知だろうか
猿を調教する時、最初力づくで組み伏せ、誰が主か、体に教えるのだそうだ
犬は家庭を観察し、その家の主は誰かを見極めるのだそうだ
数学や物理や漢文・・・、なんの興味、なんの役に立つか
子供は必死に耐えている
その上試験で零点を取らされ、お前は馬鹿だ馬鹿だと念を押す
これが従順な人間の作り方だ
 
大量の落ちこぼれや不登校、どう思っているのだろうか
数学や物理や国語等の教科の、絶望的に分厚い層の教育者たち
昔の修身、これを叫ぶ議員さえいるという
江戸から明治に移った時、教育は様変わりした
士農工商身分制度を打ち破り、近代に対応したのに、また戻ってしまった

野菜いためは弱火で、水島弘史氏

「野菜いためは弱火でつくりなさい」
その本の驚きのタイトル、強烈に惹かれて買った
食い入るように読み、試した
その結果は、長年の疑問や、自炊を始めてからの、料理のもやもやが晴れた
深い感動に浸っている

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最初は、地鶏胸肉のチキンソテー
塩とオイルを塗り、冷たいフライパンから弱火で炒め、最初に出る汁はエグミだから拭き取る、と
まずくパサパサの胸肉が、美味、美味、美味の大感動
普通の料理本では、鉄フライパン、強火、油の順だ
これで旨味を閉じ込める、とある
ところがこの方法、閉じ込められるのは旨味ではなく、エグミと苦味だ、食べれば分かる
 
野菜炒めは、もっと驚く
肉は上の方法で作り、取り置く
そのフライパンを拭き取り、水で底を冷やす
そのパンに、手でオイルを塗った野菜を置く
常識が崩壊する、一瞬だ
これを弱火で炒めて行き、肉を戻し、酒、塩と味つけして行く、と
食べてみるといい、パリッとしている
 
トンカツも、納得
料理家はたっぷりの油でと、口を揃える
私は昔からその、大量の油が分からなかった
それでフライドポテトを、少なく浅い油で、半分炒めるような感じで作った事がある
驚いたのは、水島氏もこれと同じだった
何も問題ない、トンカツがカラリと揚げられる
 
ブイヤベースでは、下ごしらえを重視する
魚介類は皆々上述の方法で、一旦焼き上げ炒め上げておく
その魚焼きは、フライパンでOKと
実はこの事は私も、既に発見し普通に行っていたから、深く納得する
ただ氏は、この方法は生臭さを除くものでは無い、と断っている
たまたまだが私は、臭みを取る方法は知っていた、十秒ルールだ
捌いた魚の臭味は、流水に十秒さらせば消える
 
アーリオオーリオエペペロンチーノでは、茹でる塩水濃度1.5%、水1リットルなら15gの、つまり大匙1杯の塩を入れると
私は落合氏の本を知り実行していたが、人は目を丸くする
ただ水島氏は、にんにくと鷹の爪のオイルは冷たいフライパンから温める、と徹底している
 
間に合わなかった事もあった
staubの鉄鍋だ、これを買ってしまった
鉄フライパンも、買ってしまった
料理家は美味しくなると言い、実際ポトフも、ご飯も、チャーハンも、格段に美味しくなった
中島氏は、これが不要と言う
鉄は温まりにくく、その分ゆっくりと熱が伝わるので、弱火効果が現れる、と
だからテフロン加工のアルミ鍋でも、弱火でゆっくり熱すれば、鉄鍋は不要と
 
この水島氏、フランス仕込みのシェフだ
そのフレンチは、フルコース、上品、お洒落で敷居が高い
且つ銅鍋など、低温料理のイメージが強い
水島氏のお陰で、フレンチの原理と認識がガラリと変わった
 
そのフレンチ、イタリアのメディチ家が発祥とか
ローマ文化とその真髄の継承者、と言うのが真意だろう
そのイタリアンでは、これもイタリア仕込みのシェフ落合氏に書が多い
私の好きなパスタ、ピザ、ラザーニア、ドリア(?)など作って知った人だが、落合氏のお陰でめくるめく味が上達した
 
この二人に比べるべきでは無いのだろうが、料理好きな作家やメディアの人たちの書、これを思う
パスタを茹でる時の塩は有っても無くてもとか、或いは塩を入れるとくっつかないから、と書いている本もある
ステーキをソテーやローストする時に、そのエグミ取りを考えていない本もある
意外性や隠れた一角などに、気付きを得るべきか

ホームベーカリー、礼賛!

食パンを焼いた、ホームベーカリー(HB)で
味など期待してなかったし、これを踏み台に最終的には、手で捏ね醗酵しパンケースとオーブンの方法に移るつもりだった
それなのにホームベーカリーを先行したのは、パンケースの大きさ、一斤、一斤半、二斤の、どれを買うか迷ったからだ
取り敢えずホームベーカリーの一斤はどんな物か、その使い勝手を知りたいだけの、脇道からのスタートだった

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当ては良い方に、外れた
最初の驚きは、全自動
パンケースに粉と塩と水を入れるだけ、後はスイッチポン
あっけなさに、拍子抜けした
手捏ねも、醗酵装置も、オーブンも不要
普通はこれらに半日は拘束されるのに、外仕事が出来る!!
タイマーを使えば、目覚めと共にパン朝食が食べられる!!
加えて洗い物が激減、スプーン一つだった!!
 
こんな簡単なら、毎回作れる
大きな二斤のパンケースは、毎日のパン焼きが面倒だから、作り置きする為に発生する問題だ
もうパンケースは考える必要、無くなった
パンは出来立てが、一番おいしい
女性を台所から開放すると言った松下幸之助が好かれたのは、機械からじんわり伝わる優しさが、その顔と一致したからではないだろうか
抱き締めたくなる器械なんて、パナソニックだけでは無いだろうか
 
それにパン保存の為の冷凍庫、私が冷凍庫を必要とする唯一の使い道、これが不要になる
かねてから目論んでいた冷蔵庫廃止も、視野に入って来た
電気代は毎日24時間一ヶ月、これが最も恐ろしい
大工道具の電気ドリルなど、屁みたいな物だ
 
前後するが、自作しても少ししか安くならないパン、手間を考えると返って高く付くパン、これを自分で焼く理由を言おう
私の作るパンは、四日目にカビが生える
スーパーのパンは、十日放置してもカビない
ただそのパンを食べると、私の体は反応する
アトピーが、吹き出すのだ
アトピー一番、朝一番は、ヤマザキパン
一番穏やかなのは、パスコ
他のメーカーは、その中間だった
街のベーカリーと話した時、山崎は特殊で強力な添加物を使っていると言っていた
私の体と意見が一致したので、納得した
因みにこれが、山崎がパンと菓子の天下を取った理由だ
金の亡者、悪魔の山崎と言っていい
 
さてさて、それよりそれらより驚いたのは、初めてかじったその出来上がり、美味しくて目がまんまるになった
スーパーのパンは元より、街のベーカリーのパンでさえ、あれは何なのだろう、と思った
人生を無駄にした、とさえ思った
実はこれは、バターをケチり、ミルクも略し、三年前の常温保存のイーストを使い廻し、水は冷さず、それらの為に膨らみが七分程度の失敗作に近かった
それでもこんなに、うまいとは!
次は、真面目にやる値打ちがある
工夫の余地もある、若干もっちりし過ぎだ
 
取り敢えず食パンは、OKと分った
後はバゲット、バタール、ライ麦パンだ
これのオーブン焼きに、集中したい
ピザ生地なら既に、各種失敗を積み重ね、遠い昔に完成している

大豆の、鳩対策

大豆の鳩対策、畝に不織布を掛ける、と言う記事をネットに見つけた
早速、やりました

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大豆作りは、六年越しになる
最初何も知らず植えた、鳩か雉かカラスか知らないが、100%絶滅した
驚いて、人に聞いたりネットを調べたりした
水糸二本、畝に張るといいと聞いた
でも、経験者はぜ〜んぜんと笑った
その人は、諦めた人だった
二年目は、苗床で作り移植した
勿論、圧倒的に数が足りず、非現実的だった
三年目は、麦と混植という方法が本にあった
やって見たが、数が足りないのと、陽射しが足りずモヤシだった
あの本の著者、深く疑った
四年目は、万策尽きて、大豆を休んだ
五年目は、農家に教えを乞い聞いた
そしたら薬品漬けの、真っ赤な種を渡された
発芽率は、驚きの100%だった
ただ心に、澱のような重さを感じた
 
そして今年
アーチパイプと不織布で大豆畝を守る方法は当然考えられるが、これをやると豆はスーパーで買った方が安くなる
そんな折、畝にいきなり不織布を掛けると言う方法がネットに有った
嬉しくて、小躍りした
 
私は播種する時、畝表面に三角ホーでV字谷を作りその底に種を蒔く
雨や夜露を、集められるからだ
そうすると、畝の谷底と耳(山)の高低差は5cm以上あるから、芽出しを見て不織布を取り除けば良い
 
おまけがあった
畝数が多ければ、不織布も馬鹿にならない
その時、時間差で一週間ごとに畝を増やして行けばいいと思い着いた
その方が収穫も分散されて、好都合だ
大豆は、植え付け許容期間が長い
 
 

起業、それは諦めない事

不思議だ
60才65才を過ぎて、性欲から開放される
そうすると世の中が、スケスケに見えてくる
最初、西洋医学が透けた
続いて、宗教も透けた
次いで、古代史が透けた
また、日本とは何か、自分とは何か、その心の置き場所が分かって来、安心立命を得た
そして今突然、起業や経営が見えて来たのだ
経済オンチ、経営コンプレックスの私には、思い残す事は無いと思うくらいの、嬉しい発見だった
 
定年で会社から放り出された時、後ろを振り返ったら何も無かった
会社の足跡も、日本国の足跡も有るのに、自分の足跡だけが、無かった
惨めで、悔しかった
せめてこれから数歩の足跡だけでもと思い、田舎へ来た
掘っ立て小屋に住み、土を耕し、自炊した
その野菜を売る、100円ショップ、パラソルショップを開いた
好きなイタ飯を作り、カフェをやろうかとも思った
すぐ大変だと分かり、庭で焙煎した珈琲とケーキの店に縮小して、考え直そうとした

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そんな鬱々としたある日突然、起業とは諦めない事だ、と閃いた
失敗するのは、諦めてやめるからだ、と
失敗のたび試行錯誤し、人と社会への摺り合わせを重ねて行けば、成功に近づく、と閃いた
岩佐大輝氏も言っている、トットとやってサッサと失敗すればいいんですよ、と
 
これはコミュニケーションでもある、社会への摺り合わせ、が発生するからだ
売る為には、人に喜んで貰わなければならない
それで初めて、商いが成立する
逆にコミュニケーションとは何か、初めて自分なりの答えだが、言えるようになった
そのコミュニケーション、難しいものである必要は無い
今日の天気、時候の挨拶から、始めれば良いのだ
 
もう一つ、これこそ教育では無いか、と閃いた
昔から私は、教育が分からなかった
分かるのは、破壊された士農工商、この身分制度の再生産ぐらいだろうか
各種学問や学校も、企業の奴隷を養成する下請け機関としか思えなかった
肯定的な意味では、切磋琢磨、競争原理が認められる
その方面での情報共有とスキルアップには、効果絶大だ
もう一つは、自分で考える事が出来るようになる、と言う事だろう
ただ思慮熟考だけ批判精神だけで、行動とリスクに飛び込む勇気は摘んで来た
それがこの起業で、思いもしない方向からの光が当たった
自立、とでも言うべきだろうか
自分の力、自分の嗜好を持って、社会の一角のそのまた一角のその歯車に、自分を噛ませる事に成功するかどうか
それを求めて、飽くなきトライアルを重ねるのは、醍醐の楽しみ、醍醐の喜びでは無いだろうか
ウル覚えだが、アメリカの小学校では、パンや物を作って売る授業があると聞いた
売れるかも知れない、売れないかも知れない
売れなければ、次はどう変えるか、これを繰り返すのだ
自立し自分で考える、その極致の人材が育つ
尚かつ、失敗とリスクに立ち向かう勇気が育つ
この教育、深く納得できる
 
さて、そこ迄考えたら、次に飛翔した
今迄は、自分の出来る事、やりたい事で社会に噛み合おうと考えた
これに、成功したとしよう
次は手伝って貰う人、これが必要になる
更には労働者に丸投げ、肩代わりして貰う段階に進む
又その次は、自分の出来ない事や分野でも、専門職を雇って行い、自分は方向だけ、つまり経営だけに特殊化する事が可能になる
金を産みさえすれば、この範囲は拡大して行く
この意味で、例えばスポーツビジネスも理解できる
私はスポーツに、興味が沸かない
人間が人工的に作ったルールで、勝ち負けを競って何の意味、何の生産が在るか、分からない
けれどもそれを喜び、お金を出す人が居れば、そこにビジネスも経営も、成り立つ
 
もう一つ、こんな現象が起きたのは、歴史上初めてでは無いだろうか
つまり、経営があったとしても、これが抽象化された事は、初めてでは無いだろうか
太古の人は食の為に耕し、武士は一所に命を懸けた
勿論太古より商人は居たが、その職は家や部族の世襲に近い
それらの行為は目的と不離不即であり、彼らの頭脳内では同一の事象だった
組織が大きくなれば、その中で経営は中枢化して行くのは分かるが、それは世襲され抽象化は起きていなかった
今我々は、不思議な時代を生きている