ondonpiのブログ

山と川の間に迷い込み、掘立小屋で自炊し、猫の額ほどの畑で自給し、大脳と小脳の世界に遊びます・・・

お金って何?、借金の証文!

[お金とは]
お金って何だろう?、と何度も思った
いつも分からずじまいになった
昔は貝だったとか、金(きん)だったとか言うが、私の知りたい事は、そこら辺ではないようだ

お金は信用だ、と言う説がもっともそれらしい予感はするのだが、ではそれはどうしてと突っ込むと、答えてくれる人はいない
そんな折夢を見た、中々説得力のある夢だったので、以下に記してみたい
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[証文]
A君は商売をしようとし、元手が足りないので友達のB君に頼んだ
「一千万、金利なにがし、三年たったら返す」と記した証文を書いた
B君は仕事の内容を聞き、貸してくれた

さて先の事は、分からないものだ
一年後そのB君に事情が起きて、金が必要になった
証文は三年後だから、まだ早い
それで共通の友人C君に行き、訳を話した、この証文買ってくれないか、と
A君B君C君の三人は知り合いなので、C君はこの証文を引き受けて、B君に一千万渡した

さてこの証文、段々お金的な性格を帯びて来た事が分かるだろうか
ただこれは、知り合いの中でしか回らない
そこでC君はこの証文を、村長さんに持ち込んだ
(いきなり村長さんが出てくるのが、夢らしい)
A君は信用のできる人間だと保障してくれないか、その事を裏書きしてくれないか、と頼んだ
村長さんは金持ちであり、A君の小さな借金など物の数ではないと、村の者は皆分かるからだった

そしたらこの証文、この村では通用するようになった
C君は更に使いやすいようにと、この証文、小さく切って千枚に分けた
切手程の小さな一枚は一万円になって、流通し始めた
(勿論あり得ないが、夢だから良しとする)

[信用]
ここで一旦、整理したい
ここで前提となる「証文の信用」とは、証文がパーにならないだろうと言う見込の事だ
決して人間的や性格的に立派を意味している訳ではない
と言うか善人は得てして、経済的には能天気な人が多く、宗教や倫理との相性は悪い

しかもそれは上の例で言えば、3年後なら振り出し人に請求すればいいが、それを過ぎて換金せずそのまま通貨のように流通させても構わない
今すぐ欲しければ、他人と交換できる
事実上通貨と変わらなくなる

次に溜めて置いても価値が減ったり腐ったりしない、と言う驚くべき大発見、大工夫、大発明だった、と言う事
この事は物々交換では有り得ない、優れた機能だ
交換商品の米と魚も、必ず腐る
保存期間は無限になり、若い時に稼ぎ、老いを養う事さえできる

次に「村長さんの裏書き」だが、現在の通貨の裏書きは誰がしているのだろう?
お札には日本銀行券と書いてあるが、私はそれよりもっと確実な理由があると思う
つまり政府が税金を徴収する時、同じそのお札で受け取る、その事で人はそのお札が本物なのだと信用すると思う

[経済量と通貨量]
そこで目が覚めたが、その後も私は空想した
この村は、前が海だった
そこの漁師が、村長さんの所へやって来て言った
浜に昆布が打ち上がるが、食べるのはわずかで、ほかは皆腐る、と
もし皆にお金が渡れば、自分は一日一時間ではなく八時間働いて昆布を干し、皆にそれを買ってもらえるのだが、と

村長さんはなるほどと思い、蔵に行ったらご先祖様が残した千両箱があったので、それを担保にして、お札を発行した
(事実上の兌換紙幣であり、信用の裏打ちは小判だったが、皆そのまま使い、小判を欲しがる者は少なかった)
村はお札が回るに比例して、昆布が行き渡り、おいしい料理が食べられるようになった
もう一つ、交易が増えれば比例して流通する貨幣の量も増えなければならない、と分かる

[借金と豊かさ]
一方この村は、後ろが山だった
漁師の話を聞いた木こりが今度は、村長さんの所に来た
自分は炭を焼いているが、自分の分だけなら一月で終わる
一年中働いて稼ぎたいのだが、もっとみんなに金が回って、自分の炭を買ってくれないものか、と
今まではいちいち里に降り、米と交換していたが、お金ならいつでも何にでも交換できて楽だ、と

村長さんは困った、もう千両箱はない
さてこの村は、真ん中を川が流れ、行き来が不便だった
橋をかけるのが、村の願いだった
そこで一計を案じた村長さん、橋を担保にお札を発行できないかと
山から石を切り出し、石橋を作る、その石一つ積んだらお札一枚を発行し、その橋のその分の所有権とした
さて村民総出で働き、皆にお札が行き渡った
これで川の渡しが楽になったのに加え、そのお札で炭を買い冬は温かく、漁師から魚や昆布を買い食卓のレベルも上がった

このお札の証文は、持って行っても換金はできない
やりようによっては橋の通行料を取り、利子配当を得る事はできる
ただ換金できなくても値打ちがある事は、村民なら自分の筋肉の疲労感から実感できる、そんなお金になる

ここで気がつくべき事は、橋は村の財産には違いないが、同時に借金だと言う事
その時発行されたお札は、所有権と言う触れ込みだが、石と労働をただで巻き上げた負い目の証しであり、その労働価値が込められているから、人はその証文を信用するのだと思う

更に進めば、A君は借金で仕事が始められ、村は借金で橋が作られた事に気がつく
私は社会の富とは、お金の発行と言う名の、借金総量と裏表ではないかと思う

対して千両箱や金塊による貨幣発行は意味が違う、信頼はあるが、借金でも富でもない
お金の便利さはあるが、富は増加していないのだ
更に金塊は、経済量の増加に比例して増えるものではなく、必ず逼迫してくる、と言う事
明治以降10年毎に来る景気循環と戦争、その最も根底に金本位制の矛盾があった、と思う